
【きょうの人】 0218 ■ 良寛 子供の純真さは仏の心 ■マーク・トウェイン 冒険小説の作者
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 良寛 子供の純真さは仏の心
りょうかん
宝暦8年10月2日(1758年11月2日)-天保2年1月6日(1831年2月18日)
江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家です。号は「大愚」、名は「栄蔵」
生まれは越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)、生家は、この地区の名主でしった。父は、名主の傍ら、石井神社の祠職を務めていて、俳人でもありました。
良寛は、あとを継ぐために名主見習いをしましたが、18歳の時、突如出家してしまいました。全国各地で米騒動が頻発し、越後でも天災・悪疫・凶作により餓死者や争いごとが頻発したりしました。良寛には。この世は、救いのない人間がいる哀れな世界と感じられたのでしょう。
22歳の時、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を"生涯の師"と定め、師事しました。経を学ぶことより勤労に励むことを第一としていて、また日を変え、言葉を変えて良寛に教えが説かれました。その教えが、後の良寛の生き方に強い影響を与えました。
良寛は母の訃報にも、帰郷は許されず、円通寺での修行は12年にも及び、寛政2年(1790年)に印加(修行を終えた者が一人前の僧としての証明)されました。
「好きなように旅をするが良い」と言い残して世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡り始めたのです。父の訃報を受けても放浪の旅は続け、義提尼より和歌の影響を受けました。
48歳の時、越後国国上寺(こくじょうじ)の五合庵にて書を学びます。その時に、「何事にもとらわれず何者にも煩わせることもない」といった生活を送り、子供にせがまれれば日が落ちるまで鞠付きに興じたそうです。「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」と残しています。
良寛は、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって、一般庶民に解り易く仏法を説きました。
修行をした円通寺(岡山県倉敷市玉島)には、良寛の銅像が立っているそうです。
■ マーク・トウェイン 冒険小説の作者
1885年2月18日に、マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」が刊行されました。世界ではじめたタイプライターで書かれた小説であると高校の英語の教師から聞いた記憶があります。(真偽の程は定かでありません)
マーク・トウェインというと「トム・ソーヤーの冒険」をイメージする人も多いと思いますが、ハックルベリーはトムの親友です。
この小説は、俗語というか方言の会話が多く、当時この本を原書で読み始めて、言葉がわからない、辞書を引いても出ていないなどでギブアップしたことを記憶しています。
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