【きょうの人】 1030 ■ 芹沢 鴨 新撰組初代筆頭局長 ■ 尾崎 紅葉 明治の文豪 泉鏡花ら後進を育成
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■ 芹沢 鴨 新撰組初代筆頭局長
せりざわ かも、芹澤 鴨
天保3年(1832年)? - 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日)
幕末の水戸藩浪士で壬生浪士、すなわち新選組の初代筆頭局長です。
前名は、下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)といわれています。諱は、光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされていますが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていません。
江戸で結成された浪士組に新見錦・平山五郎・野口健司・平間重助等を伴い参加し、六番組小頭に任命されました。
芹沢らは、八木邸を屯所として(後に前川家と南部家にも寄宿)、この前後より「壬生浪士」と称され始めました。
その際、内部抗争が起き、暗殺され、仲間も離脱しますと、壬生浪士は、芹沢派と近藤派が牛耳ることになりました。
内部抗争が激化し、大坂町奉行所与力・内山彦次郎がこれを問題にして近藤を怒らせ、のちに新選組により暗殺されました。
■ 尾崎 紅葉 明治の文豪 泉鏡花ら後進を育成
おざき こうよう
1868年1月10日(慶応3年12月16日)- 1903年(明治36年)10月30日
江戸時代に生まれた、明治時代の小説家で、本名は徳太郎といいます。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持っています。
1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊しはじめました。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称されて「紅露時代」を築き、明治期の文壇の重鎮といえます。
1897年(明治30年)から『金色夜叉』の執筆を始めましたが、未完のまま没してしまいた。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた門下生を育ててました。
小説だけではなく、俳人としても角田竹冷らとともに秋声会を興し、正岡子規と並んで新派と称されました。
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【 注 】
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