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【日本庭園を知って楽しむ】4-11 自然風景式庭園 - 寝殿造系庭園 概説

2024-11-10 17:03:00 | 【カシャリ!一人旅】 日本庭園を知る

  【日本庭園を知って楽しむ】4-11 自然風景式庭園 - 寝殿造系庭園 概説
 
 
 
 

  若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

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 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

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■■4 三分類法による日本庭園の鑑賞法
 既述の通り、ここでは、日本庭園を自然風景式庭園、枯山水庭園、露地庭園という三分類を核にしてご紹介します。
 すでに紹介済みであった内容と重複することもありますが、その三分類をさらに細分化したり、切り口を変えたりして、初心者なりの鑑賞法をご紹介します。専門家の先生方には侮蔑されるかも知れませんが、私なりの分類法をご紹介して参ります。
 なお、本章でのご紹介は、コトバンク、Wikipediaや上述の宮元健次氏等々を参考にし、宮元健次氏の分類法をもとに、初心者が独断と偏見に基づいた内容です。また、当ブログですでに紹介した内容を繰り返し掲載することもあります。勝手ながら、正式な情報は、読者の皆さんのお考えに基づいてお探し下さると幸いです。

■4-11 自然風景式庭園 - 寝殿造系庭園 概説
 寝殿造系庭園(寝殿造庭園ともいう)とは、平安時代の貴族が住んでいたとされる寝殿造と呼ばれる建築物と共に造られた庭のことを指します。このことから分かるように、寝殿造とこの様式の庭園は密接に関係していることが伺えます。

 9世紀には、天皇の離宮に、また天皇を退位してからの御所に、庭園が造られました。
 10世紀の半ばをすぎますと、藤原氏の権力が強くなり、広大な荘園を経済的基盤として栄えてきました。このころは、古いものを捨て、新しいものへと価値観、美意識が大きく変化してゆく転換点とも言えます。
 それまでは、中国から伝来した中国絵画などの中国文化主流でしたが、これらが、ようやく日本化、大和化され、日本独自の文化が成立してきた時期です。すなわち、漢詩に対し、仮名書きの文学作品が書かれるようになってきたのです。
 貴族の住宅や庭園に、中国とは違った独自の様式が取り入れられるようになりました。貴族の住宅は、寝殿造と呼ばれ、大型化してきました。門は西か東にあって,南側には敷地いっぱいに庭園がつくられるようになってきたのです。
 寝殿は建物の家主の居住スペースですので、そこからの眺めが一番良いものになるように作られています。
 寝殿は南面し、南庭が設けられました。中国形式には不可欠であった南門がないのが一般化しました。南庭は、白砂が敷かれ,年中行事の儀式の場としても利用されるようになりました。
 庭園には二、三の島が築かれ、島へは、南庭から反り橋などを経て、さらに島から対岸へは平橋が架けられることが一般的でした。中門廊の南端は池に臨み、釣殿(つりどの)がつくられました。ここは納涼や月見の宴に用いられたり、舟遊びの際には発着の役目を果たしたりしました。
 中島の裏側には、楽屋がつくられ、舟遊びに興をそえることもありました。これは、「書院造庭園」の項で後述しますように、京都の桂離宮の書院群を見ますと、中書院と新御殿との間に「楽器の間」が配されていることに通じます。
 南庭には、遣水(やりみず)と呼ばれる流れが寝殿と東の対屋(たいのや)との間に、透渡廊(すきわたろう)の下をくぐって流れています。池がつくられないような狭い敷地の場合でも、この遣水だけはつくられたといいます。遣水の流路と、その護岸としての石立は、流れに変化をつけるものです。水が石につきあたって白く波だつ面白さや水音にもこまかい配慮がなされています。

 寝殿造に関する資料は少ないのですが、庭園について詳しいことがわかるのは、当時の公家橘俊綱が書いたといわれる『作庭記』が残されているからです。この作庭記には、自然の風景からモティーフを得るという主張が貫かれています。
 自然と作者との対応のしかたよして「乞はんに従う」という言葉があります。すなわち、自然の地形や岩石を、人間が意識せずとも求めていますので、その求めに応じるべきという考えです。
 自然が人間に要求するという感じ方に,日本人独特の自然観をみられるといわれていることに繋がります。自然が、人間と対立し、克服すべき対象となるのではなく、自然の中にとけこみ、自然に従いながら作庭しようとする姿勢なのです。
 作庭記が、公家自身の手で書かれていますので、当時の公家は、一流の作庭家でもあったといっても過言ではないのかも知れません。ついでながら、この著者の父は、宇治平等院をつくった藤原頼通であることを付け加えておきます。頼通も庭園をつくろうとしたとき、気に入った専門家がなく、みずから作庭したと伝わっています。

 寝殿造の建物及び、寝殿造庭園は実在するものは少ないです。福井県越前市に寝殿造庭園を再現した「紫式部公園」がありますが、当時の資料や発掘調査などを調べて再現されました。
 ちなみに、寝殿造系庭園を理解するために、私は京都の北西にある大覚寺をイメージします。大覚寺の大沢池は、嵯峨天皇の離宮としてつくられたものです。大沢池には、北に寄ったところに中島が二つあります。その付近には、今も庭石が散見されます。北方には、「名古曾(なこそ)の滝」の遺跡もあります。

(【Wikipedia】、重森完途氏・コトバンクを参照して作成)

■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 ■ カシャリ! ひとり旅



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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