STAP細胞でいろいろ話題になった小保方さんが、「あの日」という手記を出版しました。
少し前から情報番組などで取り上げられ、昨日の新聞にも大きな広告が出ていました。この本を読むかどうか迷っています。電子版も出ているようですので、簡単に購入できるのですが、興味はあるもののあまり読みたくない気もします。
私のSTAP細胞問題については、このブログでも何回か書いてきました。基本的には最初の報道の時から、STAP細胞はないだろうと、否定的な立場でした。しかしその研究者である小保方さんは、別に悪いことはしていない、その後は小保方さんのいわば擁護派として意見を書いてきました。この考え方は今でも変わっていません。
STAP細胞を否定しているのですが、小保方さんがやった2,3回あるいは数回はできたのだと思います。この辺りはいわば科学では説明できない、非科学的な話になりますが、このブログでも幻のチャンピオンとして紹介しました。我々の世界では、「チャンピオンデータは報告するな」というきまりがあります。良いデータが出ても、それが再現性良くできることが確認されるまで、発表するなということです。これは2,3回良い結果が出ても、そのあと全く再現できないということが時々あるからです。なぜこんな現象が出るのか、たぶん永遠にわからないような気がします。
小保方さんはこの禁を破って、再現性などのしっかりした確証が出ないうちに論文を出してしまいました。これが一流の学術雑誌に受理されたので、理研はマスコミ発表を行い、マスコミはちょうど時流に合っていたこともあり、大々的に取り上げました。
ここは私の推測ですが、この後理研はこの研究の再現性が出ないという情報が入ったのだと思います。STAP細胞が実は再現性がないものだというとき、理研は小保方さんを悪者にして片付けようとしたのが、その後の「論文不正問題」だと思っています。あの論文の写真の修整などはよくあることなのかはわかりませんが、論文の主旨から見たら些細なことで、取り下げるほどのものではないと今でも思っています。
結局検証実験は失敗し、ES細胞の混入ということで、科学的納得性を出しました。しかし幹細胞研究者が、何度もほかの細胞を混入させてしまうなどありえないことです。
以上のように小保方さんは無理やり悪者にされた犠牲者と思っています。犠牲者である小保方さんは、黙って時間のたつのを待つべきだというのが私の意見です。ですからここで出された手記に、変な反論や言い訳が書かれていたら、非常に残念であり、その意味で読むのをためらっています。たぶんそのうち読むことになりそうな気もしますので、その感想などはまた書いてみます。
少し前から情報番組などで取り上げられ、昨日の新聞にも大きな広告が出ていました。この本を読むかどうか迷っています。電子版も出ているようですので、簡単に購入できるのですが、興味はあるもののあまり読みたくない気もします。
私のSTAP細胞問題については、このブログでも何回か書いてきました。基本的には最初の報道の時から、STAP細胞はないだろうと、否定的な立場でした。しかしその研究者である小保方さんは、別に悪いことはしていない、その後は小保方さんのいわば擁護派として意見を書いてきました。この考え方は今でも変わっていません。
STAP細胞を否定しているのですが、小保方さんがやった2,3回あるいは数回はできたのだと思います。この辺りはいわば科学では説明できない、非科学的な話になりますが、このブログでも幻のチャンピオンとして紹介しました。我々の世界では、「チャンピオンデータは報告するな」というきまりがあります。良いデータが出ても、それが再現性良くできることが確認されるまで、発表するなということです。これは2,3回良い結果が出ても、そのあと全く再現できないということが時々あるからです。なぜこんな現象が出るのか、たぶん永遠にわからないような気がします。
小保方さんはこの禁を破って、再現性などのしっかりした確証が出ないうちに論文を出してしまいました。これが一流の学術雑誌に受理されたので、理研はマスコミ発表を行い、マスコミはちょうど時流に合っていたこともあり、大々的に取り上げました。
ここは私の推測ですが、この後理研はこの研究の再現性が出ないという情報が入ったのだと思います。STAP細胞が実は再現性がないものだというとき、理研は小保方さんを悪者にして片付けようとしたのが、その後の「論文不正問題」だと思っています。あの論文の写真の修整などはよくあることなのかはわかりませんが、論文の主旨から見たら些細なことで、取り下げるほどのものではないと今でも思っています。
結局検証実験は失敗し、ES細胞の混入ということで、科学的納得性を出しました。しかし幹細胞研究者が、何度もほかの細胞を混入させてしまうなどありえないことです。
以上のように小保方さんは無理やり悪者にされた犠牲者と思っています。犠牲者である小保方さんは、黙って時間のたつのを待つべきだというのが私の意見です。ですからここで出された手記に、変な反論や言い訳が書かれていたら、非常に残念であり、その意味で読むのをためらっています。たぶんそのうち読むことになりそうな気もしますので、その感想などはまた書いてみます。