ごっとさんのブログ

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どうなればAIが人間を超えるのか

2017-12-18 10:45:13 | その他
人工知能(AI)については、何度もシンギュラリティ(技術的特異点)をめぐる議論が行われているようです。

いわゆる「2045年にAIが人間の知能を超える」という話で、「AIが人間を滅ぼす」という話もあれば、「シンギュラリティは来ない」という話もある等、様々な議論がなされています。

こういった話では、「何がどうなればAIが人間を超えたことになるのか」という定義が全く統一されていない、または明確にしないまま語られているようです。統一するためには知能が何を意味するのかを決め、それを定量的に評価する必要がありますが、それが困難なようです。

そもそも人間自身が知能を定義できていないのかもしれません。知能を定義できない以上、それをAIが超えるとも超えないとも判断できないことになります。将棋やチェスで人間に勝つということは、確かに一つの明確な判定方法ではありますし、最近は囲碁でもAIが勝つようになりました。

しかしこれはあくまで一つの技術であり、こういった個々の点ではAIが勝っている部分はいくらでもありますが、シンギュラリティとは異なっているような気がします。

脳科学者の茂木健一郎さんは、人間の脳とAIを比べること自体がおかしいと主張し、「シンギュラリティが来るか来ないかという議論は意味がないし、あえて言うとシンギュラリティは来てしまっている」といっています。私はこの意見にはあまり賛成できません。

すでに人間が負けている部分は多く、例えば計算速度と正確さでは電卓に、記憶能力ではHDDに遠く及びません。しかしこれは人間ができないことをするために作ったものであり、シンギュラリティとは全く違った見方です。現時点のAIも、数万の医学論文をベースにして診断を下すなど、特定の分野で人間の能力を超えています。

この2045年説を唱えたカーツワイルは、「汎用人工知能が人類使用始めて出現する」に近いことを言っているようです。この汎用人工知能が人間よりも賢くなるのは2029年と予想しているようです。

このようにAIの近未来については色々な予想がされていますが、あまり良い記述はないような気がします。私が何となく気に入っているのは「人工知能が自分自身を改良しろという命題を受けたとき、ごく僅かでも改良できたとすれば、それがシンギュラリティである」というものです。

私の分野で言えば、過去のデータと患者の状況から最適な治療法を探し出すところまでは来ていますが、全く未知の治療法を構築するというのが、AIが人間を超えた時なのかもしれません。

シンギュラリティ後この社会がどう変わるのか(あまり変わらない気がしますが)見てみたいものです。