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上海影視楽園2

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 以前紹介した上海影視中心。正式には上海影視楽園だった。忘れてた。
 以前は、八万人体育場から上海影視楽園行きの上海旅遊集散中心のバス(1日に1便)を利用するのが一般的でしたが、地下鉄網が張り巡らされたお陰でぐんと便利に。地下鉄9号線の松江新城駅からタクシーで10分ぐらいで30~35元が目安。
 再現されているのは、
南京路
 メインストーリには1930年代の旧上海がリアルに再現され、先施・永安・新新・大興の4大デパートを中心とした、南京路が再現され、路面電車も運行され乗車もできる。
租界中心街
 租界時代に外灘を中心に建設された欧風ビルと町並み。
蘇州
 外灘北端の外白渡橋のようにも見える浙江路鉄橋を再現。
石庫門
 租界時代に19世紀末から中国人向けに建設された長屋街。
上海古里
 豫園付近を中心とする旧上海城時代から続く古い町並み。
エリック・マーラー邸
 租界時代にイギリス籍ユダヤ人富豪が建築した邸宅(静安区陝西南路に現存)。
和平広場
 現在の人民広場の前身で租界時代の社交の中心となっていた上海競馬場。
教会
  徐家汇協会
湖山区
 上海郊外の江南水郷地区である朱家角や周荘。

 のエリアに別れる。
 撮影された日本の作品は、
 映画 スパイ・ゾルゲ、広島 昭和20年8月6日、T.R.Y.、三丁目の夕日、地下鉄に乗って
 ドラマ 華麗なる一族、李香蘭、わが家の歴史など多数。
 映画やドラマで路面電車が走るシーンや、昭和30年代ものはまずここで撮影したと思って間違いないだろう。倉庫にはクラシックカーやオールドタイプのバス、バイクなど「よこも残っていたものだ」と思えるくらいに懐かしい車種が多くあるが、圧倒的な数を誇るのは、軍用車。ジープ、戦車、サイドカーの付いたバイク、救護班用ミニバスに並び、なんと敵役日本軍のジープはご丁寧に国旗が掲げられていた。中国では、TVで放送されている戦争物のドラマが凄く多く、朝っぱらからもやっているくらいだから、軍用車の需要も多いのだろう。敷地内には、洞窟も造られている。

 訪れた時には、ローカルドラマの撮影が2本行われており、カメラマンのほぼ真後ろまで行っても大丈夫だった。ただ「写真は撮るな」と言われたけど。もう1本の撮影現場は、室内の撮影で、玄関口まで覗き込んでも何も言われなかった。だが、松潤あたりにいて欲しかった。最後には、「大泉洋でいいよ」。(家族の肖像)


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上海(蘇州)のお寺巡り5 虎丘

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 春秋時代の呉王・闔閭の埋葬3日後に白い猛虎が現われ墓を守ったとの伝説から虎丘と呼ばれる小高い丘のンボルとも言える雲巌寺塔(虎丘斜塔とも)は、961年建立の高さ47m、八角七層の雲巌寺塔は、地盤沈下により3.5度傾き(6度、15度説もあり)、東洋のピサ斜塔とも呼ばれている。 全国重点保護文物。
 剣を好んだ闔閭のために、剣が3,000本埋められたという湧き水が湧く、剣池が闔閭の墓と伝えられる。
 秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘ったが徒労に終わったとも言われる。闔閭の墓を建造した際携わった1,000人の工匠達を殺戮し、鮮血に染まったと伝えられる巨岩の千人石など、血なまぐさい伝説もあるが、運河のとおる美しい景観と広い敷地は蘇州市民の憩の場となっている。


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上海(蘇州)のお寺巡り4 寒山寺

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 南北朝時代に創建されたが、現存のものは清代末の再建。創建当時は妙利普名塔院と呼ばれていたが、唐の時代に寒山、拾得の両高僧が住職を務めたこtから、寒山寺と呼ばれるようになった。
 張継の詩「楓橋夜泊」にも 寒山寺は読まれている。
 赤いリボン(30元、20元)に名前を書いて人よりも高い所に結ぶと願いが叶うと言われ、寺院内の木々には赤い花が咲いているかのようだ。

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上海のお寺巡り3 老城隍廟

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 豫園商城にある、老城隍廟は600年の歴史を誇る道教寺院。霍光殿、甲子殿、财神殿、慈航殿、城隍殿、娘娘殿」の六つの殿堂からなる広い敷地内には、文化財も多い。正門に書かれた保陣海隅の文字には、神が庶民を見守るという意味が込められている。茶館や麺館も供えているので、一休みも可能。

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上海のお寺巡り1 龍華寺

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 上海市内には玉仏寺、静安寺もあるが、一番規模が大きく、そして春節の初詣で最も賑わうのは龍華寺。建立の由来は、三国時代に呉の孫権が、夫に先立たれた母の悲しみを慰めるためとされ、古い歴史があるが、現存する建物は、文化大革命後のもので、龍華塔の前に流れていた玉帯河は埋められ、山門は取り壊され、井戸は埋められるなど粛正されてしまった。
報恩寺、報恩塔とも呼ばれている。
 





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