私は、子どもが生まれる前は何でもめんどくさがりだった。
独身時代、そう言えばお茶とかも「お茶」と言って、持って来てもらうのが普通だった。
子どもが生まれる前、まだ小さな姪が家に来てた時は、かいがいしくお茶とかを運んであげてた。その姿を見て、母が子どものためにだったらするんだなと驚いてたほど。
独身時代はとにかく仕事に疲れてた。
仕事から帰ったら、座ってたら食事は出て来るし、食べ終わったらお腹一杯で動けない。
社会に出てからは、自分のことを大切にできない人だったと思う。
責任を重視して、他者を優先してて。
自分いじめとも言う。
「自分はいいねん」って考え。
子どもを授かって、お腹に赤ちゃんがいると自分を大切にせざるを得ない。
子どもは、自分を大切にできない私を、子どもを大切にすることによって、自分を大切にすることを教えるために生まれて来たんだと思う。
めんどくさがりの私でも、子どもの食事は欠かせるわけがない。
料理は手際良くないから、離乳食でも人参が気に入ったら、人参をレンジでチンしたのばっかり食べさせて、人参1kg買おうかなとした私に、母は「家畜じゃないんだから」と言ったほど。育児は雑ではある。でも、愛情はある。
子どもが小さい時は、一緒に寝ないと寝ない子だった。2人とも。
昼寝で、私が寝るフリして、早く寝てくれーと思っても、寝てくれオーラは伝わるらしく、なかなか寝ない。スーパーのカートで眠りこける子どもが羨ましかった。
夜も同じで、早く寝かせて家事をせねばと思っても、その殺気立った空気は読まれてしまう。
仕事を辞めてからでも、子どもが寝たら私の時間、私がしたい事をしよう。と思っても、第2子も同じタイプ。
諦めて一緒に寝る事にしたら、寝てくれる。
独身時代は、「今日できる事を明日に延ばさない」というのが善い事だと思ってたけど、子どもができてからは「明日できる事は明日する」が正しい事に変わった。
「とにかく、子どものことを第一優先にしてあげ」
私よりだいぶ先にママになった大学時代の友達がそんな事言ってたな。
子どものために、三度の食事をきちんと、生活リズムを整えて、睡眠は十分取って、子ども優先で。
今年は突然のコロナ休校で、子ども2人との食事が増え、昼ご飯も作らないといけなくなったけど、(その前からさあやは生活団の集合日以外は一緒だったけど)子どもがいたらちゃんと作る。
コロナ休校終わって、子どもが平常リズムに戻って、私1人だと昼ご飯が適当。前の日の晩御飯が残ってる日はまだいいけど、何もなかったら、ご飯とカップスープとか、ラーメンとか。
子どもにちゃんとした食事を作らないと、早めに食べさせないと、としてたのは、実は自分のためにもなってたってことだ。自分の健康状態を保つにも、子どもがいての食事って大事。
昨日は、姉妹2人がキッズスクエアで遊んで、しかも今までで一番遅い、閉まる17時までいると言う。16時45分に学校を出たらしいけど、帰って来たら17時15分。そうすると、私、夢中になってやってた事があって、キリがいいとこまでやったら17時半になった。
そうだった、私はこういう人間だった。
やり出して、夢中になると、途中で止めたくない人。キリがいい所までやらないと気が済まない。
でも、そうして後から遅くなったり、寝る時間削ったりで、後悔する事も。
昨日も、あーこんな時間、晩御飯用意できてないと思ったけど、昨日はたまたま週始めに作った野菜ポタージュが冷凍してあったし、前日に切って塩揉みしてたキャベツがあって、午前中に鍋帽子に入れてた大豆もあり、ご飯は十分あった。なので、スタートが遅くても何とかすぐに晩御飯できた。こんな工夫も子どもがいるからこそしようと思うようになった。
そして、納得するまでするより、案外終了時刻を決めたら、中途半端でもそれを守る方が、長期的には長続きするのだ。
私にとっては、夜早く寝るのも、時間にケリをつけるのも、「子どものため」と思ってしてたけど、そうでもしないと早く寝たら損と考えたり、延々と自分の納得いくまで時間を使う私は、体を壊してしまうだろう。
制限がある事は足かせでなく、制限のある中でする事が自分を守っている。
赤ちゃんや子どもは弱い。
弱いから自分を守らせる事で、本当はお母さんを守ってるんじゃないか。
だとしたら、神様は何てすごい仕組みを作ったんだろうと思う。
子どもは親に育ててもらう、でもそのことで親を守っている。
(一部10/5FB投稿)