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ともかく、5年前の2月1日に親父は身罷った。
亡父の趣味のひとつに、山登りがあった。
ありがたいことに、毎年、
命日の2月1日には亡父の山仲間がお参りにきてくれる。
お参りのあとは酒宴になる。
長男の僕は、自然、ホスト役をすることになる。
問題なのが、その人数。
皆さん、遠慮して、「何も準備しなくていい」、と言う。
さらには、「そんなに大人数で押しかけないから、気を遣わないで」、とも。
しかし、その実、5人だったり、20人超だったりする。
何もしなくていいといわれても、これじゃ準備しようがない。
20人も来られると、前もって用意しとかないと対応できない。
かといって20人分段取りしてて、5人じゃもったいないし…。
さて、きょうはいったい何人来ていただけるんだろう?
僕は、この3日間、東京にいっていた。
このホスト役のために、朝イチの便で戻ってきたところだ。
朝早かったんで、離陸後、すぐに眠りについた。
途中、目が覚め、ふと窓をのぞくと、眼下に山塊が広がっていた。
場所は不明だけど、山梨県 or 長野県あたりだろうか?
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僕が住んでる中津にも寺町があり、
今でも寺院の密集地帯だ。
津(三重県)にもあるにちがいない。
当てずっぽうだけど、寿町がそうじゃないだろうか。
もともと寺町は織豊時代の町割りの定番で、
いざ籠城というときの防衛戦にするために、寺院を1ヵ所に集めておいた。
当時、大軍を収容できる大きな建物は、城を除けば、寺院しかなかった。
さて、アテもなく津城下をぶらついている。
前述の寿町で、寺院を眺めながら歩いていると、
「史跡 寒松院藤堂家墓地」に迷いこんだ。
そこには、歴代の津藩主、そして支藩である久居藩主たちが祀られていた。
初代高虎候をはじめとして、歴代藩主の巨大な五輪塔が数十基もあり、
その迫力には圧倒させられる。
せっかくだからお参りをしていこうと本堂を探したが、
それらしき建物が見当たらない。
よくよく観察すると、壮大な五輪塔群とは裏腹に、
寺域には門や大きな建築物はなく、
墓塔だけが立ち並んでいる。
これも当てずっぽうだけど、
建築物は戦禍によって焼失したんじゃないだろうか?
なんせ歴代藩主の墓地なのだ。
おそらく、往時は荘厳を極めた建築物がひしめいていたと思う。
僕は、セントレア行きの高速船乗り場に向かって歩いている。
寿町から港までは思いの外ちかく、10分ほどで着いた。
直線距離だと1キロほどだろうから、
かつては寒松院付近まで海岸線があったのだろう。
寒松院という名称は、古のこの辺りの海岸に松林の防風林があり、
そこから名づけられたのだろうか?
これまた当てずっぽうな推測で、何の根拠もない。
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前夜、会食した音楽家の方が
わざわざ見送りに足を運んでくださっていた。
穏やかな海と雪化粧を纏った山々を一望に見渡せるカフェで、
彼女と昼食をとった。
前夜同様、会話に花が咲いた。
とはいっても、彼女とは共通の思い出話はない。
なぜなら、今回の津での再会以前に、彼女と会ったのはたったの1度きり。
それも14年も前のことで、その時間もほんの数分間だけだった。
けど、彼女と僕を結びつけてくれている人がいる。
その人はもう亡くなってしまったけど、
彼女の心の中〈SOUL〉にも、そして僕の心の中〈SOUL〉にも、
今も確かに存在している。
僕は船に乗り込み、家路についた。
彼女は、波止場から、いつまでも手を振っていた。
僕は、彼女が見えなくなってからも、船上から津のまちをずっと眺めていた。
形容しがたい想いが、僕に押しよせてきた。
おそらく彼女も、同じ想いで海を眺めてたんじゃないだろうか?
There's a rainbow in my soul...
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もったいないことに、中津 JC の H 川理事長が、忙しい中、同行してくれる。
リンタツ先輩にお会いするのは、3年ぶりかな。
そのときも、H 川理事長(当時専務理事)といっしょに出席した。
「ペースメーカーのバッテリーを交換した。絶好調!」
なんていうリンタツ節全開のお手紙を、先日ちょうだいした。
ひさしぶりに生で聴くリンタツ節が、今から楽しみだ。
そして明日、浜松へ。
2001年度日本 JC 委員会での同期の副委員長 M 田くんの卒業を祝う会。
この委員会には前述の H 川理事長もいっしょに出向したのだが、
彼は次年度ブロック会長ということで、浜松にはいかず、福岡で開催されるフォーラムにトンボ返りする。
昨年末、僕の JC 卒業祝いを福岡(中洲)でやっていただき、そのとき M 田くんが浜松から参加してくれた。
今回は、そのお礼参り。
再会楽、JC の友情に乾杯!
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フグで有名(globe の KEIKO の実家は、有名な河豚料亭「山田屋」)。
命知らずにも、ご禁制(大分県だけ OK!)のキモをだしたりもする。
そんな臼杵に美味しいおでん屋さんがある
と、以前 臼杵在住の友人 オカムーカス君からきいていた。
夕方5時から夜9時までの営業で、
予約しないと入店できないほどの人気らしい。
いつか行きたいと思い続けて早4年、やっと夢?が実現した。
県北に住んでる僕は、東九州の高速交通体系の遅れなどもあり、
同じ県とはいえ県南方面にほとんど行ったことがない。
なんかメンドイんだよね。
いざ車を走らせてみると、1時間半ほどで臼杵に到着。
存外、近かった。
さっそく、オカムーカス君が予約してくれたおでん屋 「のんきや」さんに Go!
店舗は1970年代の大衆食堂のような造りで、ケレン味や気取りを露ほども感じさせない。
ママさんは50歳前後で、人気店にありがちな傲慢さなどはまったくなく、
県北からの僕たちヴィジターを無造作に歓迎してくれた。
おでんは、ふつうに美味しかった。
変わりダネでは、ホタテやカキ、サザエなどの貝類メニューなどがあった。
ところで、「おでん占い」というのがあるらしい。
【 Go URL 】----> http://aym.pekori.to/uranai/2006/03/oden.html
ちなみに、僕は「はんぺん」。
はんぺんは、あんまりスキじゃない...
ていうか、僕はほとんど食べないです。
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仕入関係です。
まえにも書いた記憶があるけど、
福山のいいとこは、新幹線(上り)ホームに降りると、
すぐさま福山城址が目に飛び込んでくること。
天守閣が建築でいうファサードの役割を果たしてて、
ヴィジターを歓迎してくれるようで気持ちよくまちにはいれる。
このことを取引先さんにいうと、
本丸・二の丸は築城当時の姿を伝えてるが、
天守閣は焼失により昭和41年に再建されたものらしい。
それもオリジナルの検証をほとんどせず無造作に建てたらしく、
築城当時のそれとはかなりの部分で違いがあるとのこと。
ちょっと惜しい気もするけど、その辺の事情はわが中津城もおんなじ。
中津城のほうは、福山城とほぼ同時期の昭和39年、
五層の天守閣とそれに隣接する二層の櫓が鉄筋コンクリート製で再建された。
史家のなかには、中津城には天守閣がなかったという説を唱えるものもいるし、
そもそも新天守閣の土台になってる石垣の上には、
当時は潮見櫓が建っていたことはほぼまちがいない。
高度成長時代の真っ只中で、観光ブームでもあった当時、
全国各地でこういうことがおこなわれてたんでしょうね。
ところで、中津城は今でも個人所有のお城。
お殿さまがちゃんといます。
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「日本のラーメンはサイコー!」
と、いってました。
そっか!中国のラーメン(中華麺)って鶏ガラスープが主流だから、豚骨スープはめずらしいのかな
と、勝手に決めこんでたんですが、サスガ中国4千年の味。
ふつうに豚骨スープがでてきました。
かなり大きめの豚の股関節あたりのブツ切りが、これでもかって入ってます。
そうとうグロテスクで、口にはこぶのに怯みをおぼえたんですが、
意を決して食してみるとまさに豚骨。
中国での中華料理はイマイチ好きなれない僕ですが、
この豚骨スープは、九州人の DNA がそうさせるのか、美味しくいただけました。
麺がはいってないのが、ザンネンだった。
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電車のドアが自動じゃなく、乗降するひとが操作をしないと開かないことにおどきました。
西洋っていうか、キリスト教ってとことんインディビジュアリストなんだなぁ
とワケのわかんない感想をもったんですが、まったくの勘違いだったようです。
先日、仙台にいったんですが、JR のローカル線のドアに開閉ボタンが。
要するに、寒い地方ではいちいちすべてのドアを全開にすると寒い、てことみたいです。
わかってしまえば単純なんですが。
しかし、このボタンを押すのに、なぜかキンチョーしましたね。
子どものころ、バスの降車通知ボタンを押すのにときめいたのと似た感覚でした。
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前回ペンディングになった商談のため、早起きして淡路島へ。
なんとかウマくまとまりました。
商談成立後、新神戸へトンボ返り。
米桐の買い付けのため、広島県府中市へ。
これもいい仕入れができました。
きのうに関しては、順調な仕事ぶりだったような(←自画自賛)。
で、日帰りで中津にもどり、焼鳥屋さんへ直行。
そういえば、お昼ごはんも食べてなかった。
旅程はハードだったけど、充実感アリ。
ビールも焼き鳥もおいしかった。
きょうは、今から法事。
ワイフのお祖母ちゃんの一周忌です。