八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

単身赴任の思い出:荻窪編

2012年02月24日 16時27分04秒 | サラリーマン時代
私は40歳から倒れる46歳までの7年間、東京で単身赴任生活をしていた。
その間、荻窪3年、千葉1年板橋3年、都合3ヶ所の単身寮にお世話になった。
娘達が中学1年~高校3年だったので、1つ歳下のお銀も、多感な年頃の娘達も、いろいろ大変だったらしい。

東京では、一応仕事もそれなりだったけど、
荻窪は単身赴任最初の街だっただけに、いろいろ悲喜こもごも思い出も詰まっている。
そのいくつかを箇条書きにしてみると、、、

 1.土曜朝仙台、日曜夜東京の里帰りをしていたけど、日曜午後に家族と別れるのは堪らなく辛かったなぁ~
    勤務先が大手町だったので、金曜午後に仙台、月曜朝に始発で東京に戻る、
    いわゆる出稼ぎ方式にしたら気が楽になった。
 2.荻窪での土日は、一応は掃除洗濯、読書、散歩、サウナ、パチンコ、酒呑み、ごろ寝、テレビ、などが多かった。
    休みの日に読書などとウソっぽく聞こえるけど、池波正太郎、山手樹一郎の時代劇小説を読み漁ったのもこの頃。
 3.お銀は何回か東京に来たけど、寮に泊まったのは最初の1回だけで、
   単身寮の自屋は小汚く手狭だったので、あとはホテルに宿泊した。
 4.荻窪は特に駅北口にラーメン店がかたまっていて、
   魚介系醤油のいわゆる東京ラーメンに煮卵を入れて、よく食べ歩いたものだ。
 5.同じく駅北口のあるビル全体が健康ランドになっていて、
   サウナ、食事、カラオケ、映画、宿泊もOKなので、回数券を買って土曜日夜はよく利用していた。
 6.荻窪―大手町の通勤は、朝時間余裕のない時は東西線で、
   余裕のある時は始発なので座って寝て行ける丸ノ内線を利用していた。
   帰りは、神田西口商店街でよく呑んで帰ったので、JR中央線が多かった。
   ↑のように通勤ルートはいろいろあったので定期券を買わずに、イオカードで今日もニコニコ現金払いしていた。

品行方正な単身生活なほうだったと思っているけど、『本当?』と、お銀は天国でニヤニヤしているかも。

    ほんの短い夏

   ps:よく行った健康ランドが懐かしいのでネットで探してみたら、今は『なごみの湯』に名前は変わっていた。
コメント (5)
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