内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

森の中の絵画的空間

2015-10-10 04:48:59 | 写真

 陽が西に傾き始めた夕刻、周りの樹々が差しかける枝々の緑・黄・赤の葉が織り成すタペストリーの合間を縫って、人一人やっと通れるほどの幅の細道を自転車で駆け抜けようとしているとき、木製の朽ちかけた橋に出くわした。人同士がようやくすれ違えるほどの幅のその橋は、流れを止めた小川の上に掛かっていた。周りに人気はなく、鳥たちの鳴き声だけが空に響いている。その橋の上から川面を見下ろすと、散り敷いた落ち葉に覆われた水面、その上方の緑の藻に覆われた水面、その水面の下に沈み込もうとしている苔むした一本の樹、その樹から複雑に絡み合いながら水上に伸び広がる細枝、それらすべてを取り囲む川べりの樹々の葉、これらすべての要素があたかも一枚の絵を構成しているようであった。そこだけ時間が止まっているような不思議な感覚に一瞬捕らわれた。

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橋 ― ストラスブール街物語の必須アイテム

2015-10-09 04:40:39 | 写真

 このブログに写真をアップするようになって今日が九日目。昨日までの八日間、それ以前のまったく写真なしの文章だけの無味乾燥な記事のときと比べて、閲覧数・訪問者数ともに目に見えてアップした(素人のヘボ写真とはいえ、瞬時に訴えかける写真の威力というのはたいしたものなのですね)。
 2013年6月にブログを始めた当初は、当然の事ながら閲覧数も訪問者数もごく少数だったが、始めて数ヶ月以降先月末までの二年余り、おおよそだが、一日の閲覧数は、700から500の間、訪問者数は200から230の間で推移していた。ところが、10月に入って、写真をアップし始めると、それぞれ800と280に上昇した。いずれ飽きられるであろうから、また元の数値に落ち着くではあろうけれども。
 それはともかく、どこまでも文章で自己表現したいと私は思っている。毎日それを続けるのは、考えることに休みはないから。ただ、ときどきは、「クダラナ日記」のような馬鹿なことも書いてみたくはなる。そういえば、小学校五六年生の頃は、ショートコントのシナリオを書いて、友だちと家で練習して、クラスのお楽しみ会で披露したりもしていたことを思い出す(結構受けたんですよ)。以来、オチのある話を考えるのは嫌いではない(道、誤ったかな)。
 親族・師友・知人等で私のブログをときどき訪問してくださるご奇特な方たちが十数名いらっしゃる。ご本人たちから直接そう伺ったこともあり、各記事の「いいね」や「あしあと」、あるいはフェイスブックのコメントなどでそれを確認してもいる(皆様、いつもありがとうございます)。
 それらの方たちを除けば、どれだけの未知の方が拙ブログを定期的に訪問してくださっているのかはわからない。閲覧数と言ったって、ページを開けた瞬間に「つまらん」と思って、あるいは「間違えた」と気づいて、すぐに他のサイトに移動する場合も数多く含まれるであろうから、実際に記事を読んでくださっている方たちはといえば、どう贔屓目に見ても、せいぜい訪問者数の十分の一くらい、つまり二三十人であろうと踏んでいる。哲学カテゴリーの文章に至っては、さらにその十分の一であろう。
 私はそれでも大変ありがたく思っております。お目にかかったこともない、そしてこれからお目にかかることもないであろうそれらの方たちに、ここに心より感謝申し上げます。
 今日の一枚は、通勤途中の風景。ストラスブール市内にはリル川が街を取り囲むように流れているから、市の中心部に外からアクセするためには必ずどこかで橋を渡らなくてはならない。それらの橋は、それゆえ、街の景観の大切な構成要素をなしている。「ストラスブール街物語」になくてはならないアイテムなのである。

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滔々たるライン川の流れのほとりにて

2015-10-08 04:05:20 | 写真

 昨日午後四時頃、今日の修士の演習の準備を終えた後、自宅から自転車で15分ほどのところにあるロベルソーの森(Forêt de la Robertsau、この森のストラスブール市による案内はこちら)に写真を撮りに出かける。
 ライン側沿いに南北方向に縦長に広がる約500ヘクタールの森の中には、樹齢百年以上の木がいたるところに鬱蒼と茂っている。主要な自転車・歩行者専用道路は舗装されているが、それらの道路から毛細血管のように樹々の間を縫うように小道が広がっている。気の向くままにそれらの道を走っていると、森の奥で小川や沼に出くわしたり、思わぬ景色が突然開けたり、飽きることがない。森の中をどこからでもよいから東の方へと向う小道に逸れて進めば、やがてライン川のほとりに出る。
 今日の一枚は、ライン川の土手からのドイツ側に向かった眺望。ライン川は満々と水を湛えて静かに北へと流れていく。写真では雲に隠れて見えないが、よく晴れた日には、シュヴァルツヴァルトの稜線が彼方に綺麗に見える。

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虹と雨と赤ワイン

2015-10-07 00:32:54 | 写真

 この季節になると、7時のプール開門時にはまだ夜明け前で、空は薄暗い。泳いでいるうちに夜が明ける。昨日朝は、東の空がオレンジ色に輝き、西空に虹がかかる中を、それらを見ながら背泳ぎで往復を繰り返す。
 午前10時半過ぎ、自宅を出ようとしていたときには、薄日も射していて、この分ならなんとかもつだろうと、天気予報では雨だったにもかかわらず、自転車でキャンパスに向かった。
 しかし、昼からの演習中、雨音に驚かされ、窓外に目を転ずる。こちらの楽天的な「賭け」は外れ、雨脚はかなり強い。このままだと雨の中を自転車で帰宅しなくてはならないと少し憂鬱になる。
 幸いなことに、演習が終わる頃には雨脚も弱まり、防水加工されたコートのフードをかぶり、自転車で無事帰宅。ズボンは雨に濡れてしまったが、室内に干しただけでも二三時間で乾く程度。
 今日もカメラを持って大学まで行ったのだが、行き帰りには一枚も撮らず仕舞い。
 自宅のベランダから雨に濡れる緑葉の光沢と滴る水滴を撮ろうと試みたが、どれも不満な写り。
 そんなわけで、今日の一枚は、夕食時に飲んだワイン。むしろ今日の一本と言うべきか。

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大学宮殿中庭秋模様

2015-10-06 05:22:11 | 写真

 大学への自転車での行き帰り、大学宮殿(Palais universitaire)の背後の中庭を横切る。その中庭を取り囲むように、十九世紀最後の約三十年間アルザス・ロレーヌ地方がドイツ領だった時代に建設された大学の重厚な建物が立ち並ぶ。

 昨日、午前中の会議を終えて、昼過ぎに自宅に戻る途中、少しずつ秋の気配を色濃くし始めたその中庭を通り過ぎようとしていたとき、曇りがちの空から薄日が差し込む。自転車を止め、赤く色づき始めた楓の葉を見上げ、緑葉から紅葉への移り行きを捉えようと、リュックからカメラを取り出す。露出とシャッタースピードの組み合わせをあれこれ変えながら、ピント合わせはマニュアルで、何枚か撮った中から今日の一枚を選んだ。

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世界を新たな眼差しで見直す ― 森の中の随想

2015-10-05 02:35:58 | 写真

 何かを学ぼうというとき、それがどんな分野のことであれ、明確な目的なしに漫然と練習を繰り返しているだけでは、たいした上達は望めない。
 何の手引も指導者もなしに始めてまだ五日に過ぎないカメラであるから、無知ゆえに初歩的なミスを繰り返し、なかなか思うような結果が得られない。この点については、いただいたアドヴァイスに耳を傾けながら、基礎知識を習得していくことで、徐々に改善されていくことであろう。
 しかし、何をどう撮りたいのか、自分ではっきりしていなければ、これからの課題も明確にはならない。
 私が撮れるようになりたいと思っているのは、まずは、自然の光の戯れ。これは光そのものというより、光によってどれだけ物の見え方が変化するかを捉えたい。次に、色の組み合わせの妙。ある対象そのものの色(例えば、花の色)ではなく、その花の色と背景との色の組み合わせ、さらには、それぞれ異質なものが一つの構図の中で組み合わされたときの色の配合の面白さを捉えたい。例えば、工事現場のコンクリートの灰色、クレーン車の赤と白、その脇の銀杏の木の黄色、古い民家の土壁色、その下を流れる川の水の色、これらが織りなす色のアラベスクを一つの構図に収めてみたい。そして、視点の変化。普段見慣れているものを非日常的な角度・観点・構図の中で捉え直してみたい。
 一言で言えば、ちょっと大袈裟な言い方だが、肉眼で見るときとは違った仕方で光と色彩と物の世界を捉え直してみたい。
 ここで、いきなり唐突と思われるであろう方向に話が飛躍する。私がカメラを使って楽しみながら実践したいこと、それは、世界を新たな眼差しで見直すこと、見慣れたと思い込んでいる生活世界を発見し直すことである。つまり、それは、一つの哲学的実践のための手掛かりに他ならない。
 今日の一枚は、近所の森の中を自転車で走り回りながら撮った。森の中にはこんな緑のトンネルのような細道が網状に広がっている。

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赤く色づいていく林檎たち ― 書斎の窓から

2015-10-04 02:39:07 | 写真

 まずはカメラを持つこと自体に慣れなくてはと、どこに出かけるのにもカメラを持っていく。近所に買い物に行くときも、大学に通勤するときも、リュックサックに入れていく。この点、EOS M3 にしてよかった。小さいし軽いから。大きかったら買い物になど持って行く気がしなかったことだろう。
 まだボタンやダイヤルの機能がほとんどわかっていないから、オートフォーカスにして、ただ構図だけを考えて撮っていたが、どうにもピントが甘くて面白くないのである。おそらく私が上手に使えてないだけの話なのだろうが、静止している被写体を撮っても、その対象の肌理が捉えられておらず、がっかりの連続である。
 このブログを日頃から読んでくださっている方から、素人にもわかるような丁寧なアドヴァイスを頂戴し、それに従って、マニュアルであれこれ設定を手探りで変えて見ながら、とにかく手ブレのないように気をつけつつ、ピントがちゃんと合った写真を撮ろうと、同じ被写体を何枚も連続して撮ってみた。その中には、少しましなのも交じるようにはなった。
 それと同時に気がついたのは、自然光は時々刻々と変化していくこと。それが連続して撮った写真をスライドにして見るとよくわかる。
 これらすべてのことをよく学ぶためにも、一年を通じて、同じ被写体をずっと撮り続けるという練習も必要なのだろう。そうすることで、様々に変化する条件の中で、同じ被写体がどんな表情を見せるのか、それに対してどういう設定をすればいいのかもわかってくるのだろう。
 書斎の前には、隣家の林檎の木の枝の一本がこちらの敷地にまで伸びている。その枝に実った林檎の実が日に日に赤く色づいていく。今日の一枚は、青く澄んだ空から降り注ぐ秋の陽射しの中、同じ林檎を何枚も撮った中の一枚。

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鴨散歩 ― 朝の通勤途中の風景より

2015-10-03 00:04:04 | 写真

 自転車を購入して以来、大学への通勤手段は自転車である。
 欧州評議会と欧州人権裁判所の間の緩やかな坂道を登り切って、左手一キロほど先のライン川へと注ぐリル川に架かる橋を渡ったところで、右手に折れ、オランジュリー公園を背にして、現代建築の世界的な代表作の一つに数えられる欧州議会を向こう岸に見る川沿いの歩行者・自転車専用道を街の中心部に向かって下っていく。
 今日の一枚は、その欧州議会の全面ガラス張りの壁面に反射する朝日が眩しい時刻に、その建物を背景に川の穏やかな流れの上を優雅に散歩している鴨たちを前景にしている。もっと鴨たちにピントをしっかり合わせたかったのだが、オートフォーカスでは水面と鴨との識別が難しいのか、何枚撮ってもピタリと合わなかった。こういうときはマニュアルで合わせるしかないのでしょうか。

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日々の風景写真、日記のように

2015-10-02 06:42:04 | 写真

 講義の準備を終えたところで、カメラの使用説明書を少し読み進めたが、やはりよくわからない事が多すぎる。記述言語のフランス語そのものが難しいわけではない。むしろ、表現について発見があって面白いくらいである。ただ、当然のように説明もなく頻繁に使われている語の意味が掴めないと、その前後がわかっても肝心なことがわからない。やはりカメラをよく知っている人に付いて学ぶにしくはない。
 それはともかく、まずは毎日写真を撮って、それをPCで拡大して見て、自分が望んでいたイメージとのずれがどこにあり、どうすればもっとそれに近づけるのか、試行錯誤を繰り返さなくてはならないだろう。今日も、大学からの帰り、買い物の行き帰りにところどころで自転車を止めてはシャッター・ボタンを押した。
 まだまだ全然思うような写真を撮ることができないが、記録として、今日撮った写真の中から一枚だけアップする。
 水浴する白鳥たちを見た場所から振り返って自宅のある方角に向かって川を眺めた時の景色である。撮影は、昨日午後五時半頃。

 

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初めて買ったカメラで撮った最初の一枚

2015-10-01 00:59:14 | 写真

 今までカメラというものを持ったことがなかった。
 この夏、一緒にパリ近郊を訪ねた人が沢山の写真を撮り、後でそれらを送ってくれたのを見ていて、その中にとても良い写真があったので、自分でも、まったくの素人ながら、撮ってみたくなった。
 そのためには、何はともあれ、まずカメラを買わなくてはならない。しかし、あまりにも多種多様で、どの機種を選んでいいのかわからない。説明を読んでも、意味がわからない言葉がそこらじゅうに出てくる。値段も、たとえ入門機種に限ったとしても、数万円から十数万円と幅がある。ネットでいろいろなサイトを見、プロにアドヴァイスも受け、NikonかCanon、というところまではたどり着いた。が、それでもまだ迷う。せっかく始めるのだったら、少しは上達したいとも思う。一眼レフかミラーレスか。できるだけハイ・スペックがいいのか。それとも最初は手軽に操作できるものがいいのか。もう悩みに悩んだんである。
 で、買ったのは、Canon EOS M3。昨日、店から届いたとの連絡があり、愛車(自転車)で取りに行った。喜び勇んで家に帰り、まずはバッテリーの充電である。その間に説明書を読もうと、最初のページを開いて、「SDカードが必要ですが、それはキットに含まれていません」と書かれてあって(こんなこと皆さん知っているんですよね)、ガックリくる。SDカードを買うためだけに、また自転車で疾駆して街中に戻る(それでも片道十五分かかるんですよ、街の北の外れに住んでいますから)。
 息を切らせて自宅に戻ると、おお、充電が完了している。バッテリーとSDカードを装填。電源ON。緊張の一瞬である(大げさである)。たちどころに液晶画面が立ち上がる。年月日時間をタッチパネルで入力する。さあ、これで撮影可能だ。
 何枚か室内と窓越しの風景を撮ってみて、PCの画面で見てみる。ぜ~んぜん期待したように撮れていない。まだ使い始めたばかりなんだから当然だよと自分に言い聞かせる。
 買い物に行くついでに近所の風景を撮ろうと、シャッター付きのガレージにしまった愛車(自転車)をまた出して、ペダルを勢いよく踏み込む。お気に入りの散歩道の脇を流れる川で白鳥たちが水浴をしている。夕日に照らされた樹々の緑が水面に揺曳する中を優雅に泳いでいる。これを撮らずしてどうすると、急ブレーキをかけ、転けそうになりながらも、白鳥たち気づかれないように、そおっと近づく。先方は私のことなど最初から完全に無視しているようである。
 かくして撮ったのが下の写真です。記念すべき最初の一枚です。ちょっと印象派風ですが、言うまでもなくそれを狙ったのではなく、結果としてそうなっていただけです。

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