内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

この世での「居場所のなさ」を生きてゆくということ ― 浮舟と紫式部の場合

2025-01-03 17:04:19 | 読游摘録

 『源氏物語』に登場する数多くの女性たちのなかでも浮舟ほどこの世の中での「居場所のなさ」に苦しめられた女性はいないでしょう。彼女は受肉せる「居場所のなさ」だとさえ言いたくなるほどです。
 浮舟の母君は、娘の身の上を「中空に、ところせき御身なり」と嘆いていますし、浮舟自身、「降り乱れ汀に凍るう雪よりも中空にてぞわれは消ぬべき」などという絶望感に打ちひしがれた歌を詠み、「まろは、いかで死なばや。世づかず心うかりける身かな。かくうきこともあるためしは、下種などの中にだに多くやはある」(「私はなんとかして死んでしまいたい。世間でも聞いたことのないほどのつらい身の上だもの。こんなにつらい目に遭う人は、下々の者の中でもそうはいないでしょうに」角田光代訳)と言って、突っ伏してしまうのですから。
 浮舟は、薫と匂宮との板挟みに苦しんだ挙げ句、川に身を投げる決意をするわけですが、入水には至らずに、行き倒れているところを横川僧都らの一行に救助されてしまいます。死ねないのです。ついに出家して平穏な日々が続くかと思いきや、薫の使いがやってくる。それを受けて僧都は浮舟に還俗を勧める始末です。でも、彼女はそれに屈しない。
 そんな浮舟だからこそ、「だれにも拠らずに生きてきた浮舟には、『源氏物語』に登場した女性たちが持てなかった未来も、またあるのではないか」(角田光代訳『源氏物語 8』(河出文庫、2024年、「文庫版あとがき」)という見方も出てきます。
 そもそも作者である紫式部自身、この世には自分の居場所がないという実存感覚に生涯何度も苦しめられた人であったことが『紫式部日記』『紫式部集』を読むとわかります。
 角田光代氏は前出の「文庫版あとがき」で次のような興味深い考察を提示しています。

 おちぶれた女性が、何にも属することなく生き、生きる場所を得て、その場所を失いそうになったとき、さて彼女はどうするのか――。源氏物語を書きはじめた最初からそう思っていたとは私は思わない。途中から、紫式部のなかで書きたいことが変わったのだと想像する。
 母を失い、姉を失い、友を失い、夫を失い、宮仕えをせざるを得なかった作者は、書くことによって、「紫式部」となった。もしかしたら、一度自身をも失ったのち、自分に向けて歌を書き連ねることで自身を獲得していった浮舟は、作者の分身と考えることもできるかもしれない。

 山本淳子氏は『紫式部ひとり語り』(角川ソフィア文庫、2020年)のなかで次のように紫式部に自問させています。

 寡婦であったときには寡婦の「身」のつらさがあった。女房となれば女房の「身」のつらさがある。それだけではなく、女房生活によって私は否応なく価値観を塗り替えさせられた。「本当の私」だと思っていた私が、内側から変わってゆく。私の本当の居場所は、どこなのだろう。

 そして、山本氏は、「現実に適応しない心なら、その居場所は虚構にしかない」(『紫式部日記』角川ソフィア文庫「解説」)と、この世での居場所のなさが紫式部を創作へと向かわせた起動因であると見ています。しかし、それは虚構への逃避ではありません。

いづくとも 身をやるかたの 知られねば うしと見つつも ながらふるかな

 この歌は、「居場所のない」この世をそれと知りつつ生き続ける覚悟が晩年の式部にはできていたことを示してはいないでしょうか。この歌の評釈については、2014年12月1日の記事2024年2月7日の記事を参照していただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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