内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

あなたはどこで生きていますか ― 須賀敦子『ユルスナールの靴』に触れて

2024-06-03 21:31:00 | 読游摘録

 須賀敦子の『ユルスナールの靴』(河出書房新社、1996年)を読んでいて以下の一節に出会い、我が意を得た思いがした。

近世になって国家の概念が大陸とそこに暮らす人々の心をずたずたにひきさいてしまうまでのヨーロッパは、ことばや、川の流れや森の広がりなどによって、今日よりもっと(政治的でないという意味で)、自然な分かれ方をした土地だった。どこの国の人間というよりは、どの地方のことばを話すかのほうが、たいせつだったにちがいない。(『須賀敦子全集』第3巻、河出文庫、2007年、36‐37頁)

 ストラスブールに住んでいると、この一節のなかの「川の流れや森の広がり」と「どの地方の言葉を話すか」という表現に特に感応するのは私だけではないと思う。そうなのだ。西のヴォージュ山脈と東のシュヴァルツヴァルトとの間をライン川が流れ、その流域の平地にはヨーロッパの他の地域には見られない文化圏が形成された。それはとりわけ中世に顕著だ。このことについて、2013年、このブログを始めて二月あまりのころに「思想の地形学 ― ライン川流域神秘主義」というタイトルの記事を書いた。それだけ私にとって大切なテーマだったからだ。
 マルク・ブロックにとっても重要な先達の一人であったポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュの『人文地理学原理』(Principes de géographie humaine, 1922)は、地球規模の問題が各国の政治の枠組みを揺るがし、超国家的な協働と解決策の模索が喫緊の課題である今日、もう流行らない。だが、そのことは私たちがより進歩しより豊かな世界に生きていることを必ずしも意味しない。
 人がその中で棲息する地理的条件・景観的特性・言語的環境は、その人のよりよき生にとって、その人がその下に生きている国家体制よりも、より大切でありうることを忘れないようにしたい。