四日前から手元にある『蜻蛉日記』の注釈書(電子書籍版も含む)の再読に多くの時間を割いている。これは修士論文のテーマとして『蜻蛉日記』の受容史を選んだ修士一年生の年度末報告書の審査の準備のためである。
私は副査でこの学生の論文指導にはあたっていない。この年度末審査は、論文作成の進捗状況によっては実施できない場合もあり、するかしないかは指導教官の判断に任せられている。だから、審査というよりも、学生の論文作成途中報告書について問題点を指摘し、今後の研究ためのアドヴァイス、特に来年度一年間の日本留学期間中に構築すべき参考文献目録と主要文献の収集あるいは閲読についてのアドヴァイスをするのが主な目的である。
当の報告書は、主題と構成の提示とこれまで読んだ注釈書・参考文献からの摘録の域を出ていない。まだ一年生で、はじめての論文作成なのだから、たいていはこんなものである。「日本語の注釈書をよくがんばって読みましたね。引き続き勉強を続けていってくださいね。Bon courage ! 」と笑顔で一言、ハイおしまい、にしてもいい程度の進捗状況である。
しかし、『蜻蛉日記』は私が愛読する古典の一つで、その新潮日本古典集成版は、仕事机に向かって椅子に座ったままちょっと背伸びをすれば届く右側の書棚に、『紫式部日記』『和泉式部日記』といっしょに並べてあるくらいであるから、そうはいかないのである。
私にできるかぎりのアドヴァイスをすべく、主な注釈書をすべて再読した。特に、九年前にストラスブール大学とCEEJAで三日間に亘って行われた国際シンポジウムでの発表の準備のときに付箋を貼った箇所やマーカーを引いた箇所をなつかしく読み直した。このような機会を与えてくれた同僚と学生に感謝している。
この発表の原稿は、後にシンポジウムの論集 MA ET AÏDA. Des possibilités de la pensée et de la culture japonaise, Philippe Piquier, 2016 に « Le cœur, le corps et le paysage ne font qu’un » というタイトルで収録された。さらにその後、日本語バージョンを『世界文学』という学会誌に「心身景一如 ―日本の詩文における「世界内面空間」の形成―」というタイトルで掲載してもらった。この論文のための覚書をこのブログに二〇一五年二月二十一日から五回に亘って連載した。
きっかけはなんであれ、古典を読むことで与えられる愉悦は何度味わってもよいものです。