内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「飛行機の登場とともに、私たちは直線を学んだ」― 過去の読書経験の新たな交叉をもたらす一文 サン=テグジュペリ『人間の大地』より

2024-06-12 07:57:04 | 読游摘録

 フランス語の « à vol d’oiseau » という成句は「直線距離で」「空から見下ろして、鳥瞰の」という二つの意味をもっている。後者の意味では、日本語の「鳥瞰」のなかにも「鳥」が含まれていて、日仏どちらの表現とも「上空を飛翔する鳥のような視点から見ると」という意味で使われる。しかし、仏語の成句の前者の意味は文字通りとは必ずしも言えない。なぜならすべての鳥がいつも一直線に飛ぶとはかぎらないからである。
 人間も含めて鳥のように空を飛ぶことができない地上動物は地表を移動するほかない。何らかの乗り物を使おうがこの制約に変わりはない。直線道路や直線線路を例外として、地上では直線でつまり最短距離で移動することができない。それが鳥のように空を飛べれば可能になるだろう。こう考えて上掲の仏語の表現が生まれたのだと思う。
 実際に人間が地上の制約から解放されて空中の二点間を一直線に進むことができるようになったのは飛行機の登場とともにである。そのことをサン=テグジュペリは『人間の大地』(1939年)のなかでこう表現している。

飛行機の登場とともに、僕らは直線を学んでしまったのだ。飛行機に乗って飛び立てば、僕らは水飼い場や家畜小屋へと降りていく道、町と町を繋ぐ曲がりくねった道とすぐに袂を分かつ。慣れ親しんだ隷属状態から解き放たれ、泉を求める気持ちからも自由になって、はるかかなたの目的地にぴたりと機首を向ける。そのとき初めて、直線の軌道の高みから、僕らはこの惑星の基層を、岩と砂と塩でできた地盤を発見する。その地盤のところどころで、大胆にも生命が芽を出している。と言っても、所詮は瓦礫だらけの廃墟の窪みにわずかばかりの苔が生えたという程度のことにすぎないが。(光文社古典新訳文庫、渋谷豊訳)

Avec l’avion, nous avons appris la ligne droite. A peine avons-nous décollé nous lâchons ces chemins qui s’inclinent vers les abreuvoirs et les étables, ou serpentent de ville en ville. Affranchis désormais des servitudes bien-aimées, délivrés du besoin des fontaines, nous mettons le cap sur nos buts lointains. Alors seulement, du haut de nos trajectoires rectilignes, nous découvrons le soubassement essentiel, l’assise de rocs, de sable, et de sel, où la vie, quelquefois, comme un peu de mousse au creux des ruines, ici et là se hasarde à fleurir.

 飛行機の登場は、単に物理的・地理的に人間が直線軌道を進めるようになったことを意味するだけではない。それは、世界の見方を学び直し、人間の歴史を読み直す機会を与えた。
 この次の段落でサン=テグジュペリはさらに「宇宙的尺度」(l’échelle cosmique)という観点に言及する。それは私にフランスの地理学者 Michel Lussault(1960 -)が L’Avènement du Monde (2013) で導入している Planète – Terre – Monde という三つの観点の区別を思い起こさせた(この点についてはこの記事を参照されたし)。
 他方、メルロ=ポンティが『シーニュ』(1960)のなかで批判している「上空飛行的な哲学」のことも思い合わされた(« Qu’on regarde plus haut dans le passé, qu’on se demande ce que peut être la philosophie aujourd’hui : on verra que la philosophie de survol fut un épisode, et qu’il est révolu. »)。
 さらには、ピエール・アドが La philosophie comme manière de vivre のなかでロマン・ロランの le sentiment océanique 擁護しつつ、それをle sentiment cosmique と区別していることも思い起こされた(« En parlant de « sentiment océanique », Romain Rolland a voulu exprimer une nuance très particulière, l’impression d’être une vague dans un océan sans limites, d’être une partie d’une réalité mystérieuse et infinie. »)。
 『人間の大地』第四章「飛行機と惑星」のなかの直線についての一行が私のなかにこのようなさまざまな反響を引き起こし、過去の読書経験が自ずと交叉し、それらの間の結び目がさらに緊密となり、あらためて世界の見方を学び直す機会が与えられることは、読書がもたらす大きな喜びの一つである。