内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

沈黙の中の心の叫び

2024-06-18 23:59:59 | 雑感

 午前中、来年度のために新たに募集した講師のポストの最終面接に召喚する候補者の選考を二人の同僚とテレビ会議で行い、その直後にやはりテレビ会議で、副査をお願いした別の同僚と一緒に、私が指導教官を努めている修士一年生の年度末審査を行った。午後には日課のジョギングで11キロ走る。夕方には、学科長と来年度の担当科目の割り振りについてテレビ会議で話し合った。傍から見れば、職務を粛々と執り行い、健康維持にも配慮された、特段の問題もない平穏な一日のように見えたかも知れない。
 だが、本人の心のうちはその外見とは裏腹に不安に満ち、一瞬の安堵感も許されない状態がずっと続いている。
 我が身の上に今直接関わること、職場での来年度の想定外の重い責任、近い将来に置かれざるをえない不安的な状態、ますます不寛容で差別的で排他的になってゆく社会の諸問題、もう帰る場所もない祖国、今世界で起こっている戦争、その間も深刻化し続ける環境破壊・気候変動などなど、これらすべてのことが小さき我が身にのしかかる途方もない重圧となって、近くから遠くから、四方八方から、心を締めつける毎日を送っていると、いつまでこの身がもつかわからないし、ましてやその先は想像すらできないし、かといってすべてを投げ出して遁走することもできず、誰にも助けを求めることもできず、そんな中でもなんとか一日一日を大切に生きようと朝早く起き出してもすぐに安易に流れ、瞬く間に一日は終わり、人生は情け容赦なく不可逆的に痩せ細っていき、それでもふっと蝋燭の火が消えるように静かに生を終えられる保証はなく、ただ死ねないから生きているだけで、そうしていれば苦しみは増すばかりなのに、苦しみの叫びをあげることさえ許されず、すべては因果応報と諦観に傾きつつも、きっぱりとあきらめることもできず、来世などあるはずもないと理性に囁かれ、あらゆる救済への扉は固く閉ざされている。
 これまさに「生き地獄」でなくてなんであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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