内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『須賀敦子全集』第八巻所収の年譜と未定稿について

2024-06-04 23:59:59 | 読游摘録

 須賀敦子の全作品とその他の遺された文章を全部読みたいと思い、河出文庫版『須賀敦子全集』(全八巻、二〇〇七年)を日本のアマゾンで購入した。五月三〇日に発注、昨日三日に国際宅配便DHLで届いた。
 作品を読み始める前に、第八巻の二百頁に及ぶ膨大詳細な年譜を眺めた。集め得た証言や資料はすべての時代について均一ではないが、数々の興味深いエピソードがそれぞれの時代の歴史的な出来事や須賀の生涯にとって特に重要な出来事と織り合わされており、さらに年譜に登場する事項や人名などの理解の一助のための脚注が懇切丁寧に多くの頁に付されていて、それらすべてから立ち上がってくる須賀の生涯、その生きた時代と世界の「空気」に思わず引き込まれた。
 イタリアからの帰国後須賀が長く住んだ街が私の生まれ育った土地からほど遠からぬことや、年譜作成のための重要な協力者の一人が留学前に私がフランス語のことでお世話になった方だったことなども、より一層私の興味を掻き立てた。
 丸谷才一と池澤夏樹とともに本全集編集委員であり、第八巻の編者である松山巌がこれだけの労力と時間をかけてこの年譜を作成したのは、須賀自身の「研究すべき文学者が、いつ、どこで生まれ、どのような時代を過ごしたのか、注意すべきである」(同巻「解説」六六四〇頁)という考えを尊重してのことでもあろうが、それにしても年譜にここまで尽力するのはきわめて稀なことではなかろうか。
 同巻には、遺稿「アルザスの曲がりくねった道」の創作ノートと未定稿も収録されている。未定稿は四百字詰め原稿用紙にして四十枚強である。もし完成されたならばかなりの大作になっただろうと推測される書き出しである。
 その書き出しを読んでいて次の一節に行き当たった。

どういう連想のいたずらだったのだろう、息のはずむ思いで帰りの地下鉄に乗っていたわたしのなかに、四半世紀まえ、友人たちとたずねた(というよりは、通過した、というほうに近いのだが)アルザスの風景が、ぼんやりと浮きあがった。丘の斜面を被うぶどう畑のなかの、だれにも会わない曲がりくねった道を、わたしは歩いていた。あの道をもういちど歩いてみたい。あのとき、わたしは、長いヨーロッパでの生活に区切りをつけて、まもなく陸の国境をもたない遠い島国に帰ろうとしていた。手入れのゆきとどいたぶどう畑を、ただ美しいと思うだけで通りすぎたあの道を、もういちど歩いたら、あのときには見えなかった大切なもの見つけられるかもしれない。

 この一節を読んで、かつて何度も車で訪れたワイン街道のことをなつかしく思い出した。思い立てばいつでも日帰りでいけるところに住んでいるのだから、今度訪れるときは、車が走るワイン街道から逸れて、曲がりくねった道を歩いてみたいと思った。