内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

トリトメな記 ― 罅の入ったワイングラスが気づかせてくれたこと

2024-06-01 14:22:02 | 雑感

 誰にでもあることなのか、少数の人にだけあることなのか、わからないままに申し上げるのですが、日頃概して物は丁寧に扱い、めったなことでは傷つけたり壊したりしないのに、毎日順繰りに使っている数脚のワイングラスを洗っている最中に連日立て続けに割ってしまうということが何年かに一回私にはあります。一つ割ってしまうと、続けて割らないように普段以上の注意を払うにもかからず、なぜか洗っているときに手元が狂って割ってしまうのです。変に意識しすぎて知らぬ間に動きが普段通りではなくなっているからなのでしょうか。そんな大げさなことではないとは思うのですが。
 高価なグラスではありません。そこらのスーパーで売っている廉価品か、もうちょっとましでも通販で格安で買えるような代物に過ぎません。だから、割れてしまったからといって惜しいと嘆くほどの損失はありません。ただ、物を大切に扱おうというこちらの日頃の健気な意思をせせら笑うかのように、なぜ物はかくもあっさりと壊れるのか、と恨めしい気持ちになるときはあります。
 昨朝、前日の夕食後に洗い上げておいた食器類を所定の棚に戻しているときに、夕食時に使ったワイングラスに罅が入っていることに気づきました。いつ入ったのか、まるで覚えがありません(酔っていたからですかね? ― 十中八九、そうでしょう)。僅かな罅なのでそのまま使えなくはありません。でも、そんな罅割れグラスを使い続けるのは、使うたびごとに自分のしくじりを目の前に突きつけられるようで不愉快だからと、以前だったら迷うことなく直ちに捨てていました。
 でも、今回、なぜだかわかりませんが、直ちに捨てるのが躊躇われて、罅が入った側に唇をあてなければいいのだからと、使い続けることにしました。そのグラスに特別の愛着があるわけでも、センチメンタルな思い出があるわけでもありません(あったらよかったのにね)。
 今、この記事を書いている間もその罅割れグラスで飲んでいます。何の不都合もなく、いつものようにワインの味を愉しめています。
 ここまで徒然なるままに書いてきて、ほんとうにどうでもいいつまらない話だよなと我ながら思う一方、ちょっと、いや、おおいに大げさに言えば、これもあの一つの「気づき」ってやつなのかなあとも思います。
 今まで何かクソつまらんことにこだわって自分を不自由にしてきただけなのかなって思えた途端、ああ、なんということでしょう、ワインがさっきよりちょっと美味しく感じられるではないですか。もちろん気の所為でしょう。でも、それで同じものをより美味しくいただけるのならば、それはより善いことなのではないでしょうか。