内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(七)

2014-03-10 00:00:00 | 哲学

2.1.3 自覚の構造から場所の論理へ
 こうして、自覚の基本構造を構成する第三項である「自己に於て」がそれとしてノエシス的自己からもノエマ的自己からも区別されるまさにそのところで、西田哲学は、意識の立場から飛躍する契機を捉える。内的経験としての自覚の構造を内在的に徹底的に探究することを通じてその第三項へと到達し、この第三項が他の二項とは厳密に区別されなければならないことを明らかにすることを通じて、内的経験としての自覚をそれとして成立させているのは、それがそこにおいて成立する〈そこ〉であり、〈そこ〉は自己が自己であることを自己において可能にしながら、その自己にはけっして還元されないというテーゼが確立される。そして、この〈そこ〉に「場所」という名が与えられる。このようにして「自己に於て」という自覚の構造契機の規定を介して、そしてそれを超えて、場所の論理の地平が開かれることになる。この地平において、ノエマ的自己に対するノエシス的自己は「相対無の場所」と規定され、自覚が成立する「絶対無の場所」とは厳密に区別される。
 この場所の論理に至るまでの自覚論の展開は、内的経験としての自覚の構造からその成立の場へと向かう探究であり、内在から超越へという方向を取っていると言うことができる。しかし、この第三段階において、〈自己〉という審級から〈場所〉という審級へと〈自己〉の問題が超越論的現象学の圏域外へと移行させられるに至っているだけではなく、場所の自己限定作用という契機の導入によって、内在か超越かという二者択一の問題としてではなく、内在的超越として〈自己〉の根本構造を捉えることが可能になっている。
 ところが、そこにはさらに超越から内在へという探究の方向性も、そして超越的内在として〈自己〉の成立過程を捉えることを可能にする契機も、場所の論理には含まれているのである。次節での考察を先取りして言えば、〈自己〉の問題を歴史的現実(あるいは歴史的生命)の世界、すなわち自らの内部に無限の形を自ら与える世界における形の一つとしての〈自己〉の問題として問い直す契機を自覚論の問題圏域に引き込むことを可能にしているのも場所の論理なのである。しかし、この契機がそれとして主題化されるのは、自覚論の最終段階である第四段階においてであり、そこにこの契機の主題化をもたらした一つの哲学的転回があることもまた確かである。この自覚論の最終段階における中心主題は「世界の自覚」であり、それは世界自身が自らその内部へと到来させる出来事にほかならない。そこで、自覚論は、哲学の〈始源〉にまさに最接近することになる。