内的自己対話-川の畔のささめごと

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プラトン『アルキビアデス』における自己への配慮とローマ帝政期のそれとの間の四つの主要な相違点

2017-07-11 14:17:46 | 哲学

 フーコーによれば、プラトンの『アルキビアデス』に読み取れる自己への配慮と一・二世紀のローマ帝政期のそれとの間の主な違いは、次の四点にまとめることができる。
 第一に、『アルキビアデス』における自己への配慮は、ある一つの社会的範疇とそれに属する人たちのある特定の時期にしか関わらない。すなわち、そこでの自己への配慮は、政治家としてのキャリアを目指す若き貴族青年たちが政治的生活への手ほどきを受ける時期に限られる。さらに、まさにそれが理由で、この自己への配慮は都市(生活)への配慮と分かちがたく結びついている。つまり、他の人々をよく統治するためにこそ自己への配慮が必要とされる。ところが、ローマ帝政期には、自己への配慮は、社会全体に広く行き渡った活動となる。しかも、青年期だけに実行されるべきものではなく、生涯を通じて実践されるべきものとなり、その仕上げは老年期まで待たなければならない。したがって、自己への配慮は、政治的生活のための単なる準備段階ではもはやなく、一つの十全な生活の形なのであり、都市(生活)への配慮とは切り離され、人によっては、政治的生活の放棄までその中に含まれることになる。
 第二に、『アルキビアデス』では、自己への配慮は、当時のポリス社会で不完全にしか機能していなかった教育システムを補完するという目的を持っていた。その教育システムでは教えられていなかった良き統治の諸原理を青年たちに発見させ、それらを実行させるためである。それに対して、帝政期は、自己への配慮にこのような補完的教育的機能はなくなり、新しく且つ明確に相互に区別された諸機能がそれに取ってかわる。すなわち、誤った意見を排除する批判力、精神的な戦いを実行する精神力、情念に左右されないようにする医学的知力である。
 第三に、プラトンにおいては、自己への配慮とは自己知にほかならなかった。つまり、自己の魂について瞑想することで、青年たちは、想起を通じて、正義や良き統治の諸原理を己の内に発見していく。言い換えれば、自己知が自己への配慮を可能にするのであり、諸々の配慮に対して知に優位が置かれていた。それに対して一・二世紀の帝政期の自己への配慮においては、その関係が逆転する。そこでは、主体が一連の真理を身につけるのは、それによって外的世界に対処する術を学ぶためと考えられるようになるのである。その意味で、自己知は、自己への配慮という最終的・総合的目的に従属している。自己知は、一連の真理の習得において自分がどこまで進んでいるかを計るためにこそあるのであって、それ自体が最終目的ではないし、それによって他の諸徳が可能になるのでもない。
 第四に、『アルキビアデス』においては、自己への配慮は、師との哲学的・エロス的関係の枠組みの中で実行されるものであったのに対して、帝政期には、自己への配慮の実践にとって他者の存在はやはり不可欠であるとしても、エロス的関係は消失する。自己への配慮を身につけるための教育・指導・助言は、その過程に友情を伴いうるが、それは必ずしも必要ではなく、様々な形式において実行されるようになる。例えば、エピキュロス派においては、学校、講演、私的助言、哲学的共同生活態などの形をとり、それぞれに一定の規則によって律されるようになる。