内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

偉大なる師についての弟子たちよる追想 ― 夏目漱石と西田幾多郎(一)

2017-07-01 08:03:18 | 読游摘録

 先月二十七日の記事で取り上げた小林敏明著『夏目漱石と西田幾多郎 ―共鳴する明治の精神』の中に、漱石家に親しく出入りしていた弟子の一人である物理学者で名随筆家でもある寺田寅彦による師の回想「夏目漱石先生の追憶」の一部が引用されている。この美しい文章は、岩波文庫版『寺田寅彦随筆集』第三巻に収録されている。この本は私の手元にないが、ネット上の「青空文庫」で全文を読むことができる。
 生前の漱石に直接会ったことがある人、付き合いがあった友人・知人、あるいは弟子として親しく漱石家に出入りしていた人たちにかぎっても、実に多くの人たちが漱石の追想記を書き残している。昨年も、岩波文庫から『漱石追想』と題された追想録集が出版されている。十川信介によって編集されたこの一書には四十九名の文章が収められている。その中にも寺田寅彦の名前があるが、同書に収録されているのは、随筆ではなく、「思い出るまゝ」と題された二十首の和歌である。
 その最後から二番目に次のような一首がある。

先生と対ひてあれば腹立たしき世とも思はず小春の日向

 漱石が亡くなった大正五年(1916)の翌年『渋柿』十二月号が初出である。それから十五年後の昭和七年(1932)に「夏目漱石先生の追憶」は『俳句講座』に発表された。小林敏明さんの本にも引用されている箇所は、この和歌の心と響き合っている。

 いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。
 花下の細道をたどって先生の門下に集まった多くの若い人々の心はおそらく皆自分と同じようなものであったろうと思われる。

 このような師を持つことができた弟子たちは幸いなるかな。