内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「作品」としての廃墟の美学 ― 夏休み日記(7)

2017-07-23 17:26:20 | 哲学

 一昨晩、そして昨晩深夜、かなりの強風が吹き荒れました。特に、一昨晩の強風の激しさは、プールまでの道沿いに蒼々と並び立つポプラの木から吹き千切られた枝が路上に散乱しているほどでした。幸い近所には強風による被害はなかったようですが。
 スタロバンスキーの « Ruines » と題された短いエッセー(Ecritures, I, 1964, p. 44-47)には、ジンメルによる「廃墟の美学」の定義がスタロバンスキーによって次のように要約されています。

Simmel, définissant l’esthétique de la ruine, disait qu’il faut considérer comme une œuvre inédite cet hybride où l’effort vertical de l’architecture se compose avec les forces naturelles de chute et d’inertie : un équilibre momentané s’établit, où les puissances antagonistes de la nature et de l’art se réconcilient passivement derrière notre passage, au moment où se défont les traces de l’effort humain et où la sauvagerie regagne le terrain perdu...

Jean Starobinski, La beauté du monde, Gallimard, coll. « Quarto », 2016, p. 1094.

 この引用箇所を私なりに変奏すると次のようになります。
 垂直上方へ向おうとする建築の努力の痕跡とすべてを地上に転落させ動かなくしようとする自然の力との組合せからなる廃墟には、それ固有の束の間の均衡が生まれることがある。それは人の手によってそうされたのでもなく、自ずからそうなったのでもない。それはそれで一つの「作品」なのだ。文明がそこを通り過ぎた後、人間の構築の意志はそこから姿を消し、野生がまたその失地をそこに回復しようとする。その間、自然と技術(芸術)との相対する力が、完全なる保存と壊滅との間で、期せずして均衡を保つときがある。それが廃墟という「作品」なのだ。