内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

岐阜県八百津町福地村訪問記 ② ― ことなりの花咲くコミュニティ、文学と芸術の源泉としての家郷、そして、やっぱ温泉でしょ、日本人は

2018-08-12 22:24:06 | 雑感

 今朝、三年前にK先生とその仲間たちが立ち上げた福地のコミュニティ「いろどりむら」の夏休み企画の開会に立ち会った後、K先生に車で岐阜県東濃を一日案内していただいた。それは、島崎藤村『夜明け前』の書き出しの著名な一文「木曾路はすべて山の中である」を如実に確証する行路であった。
 まず、馬籠の藤村記念館を目指した。藤村の作品は、『破戒』といくつかの詩を高校時代に読んだことがあるだけであったが、今日、記念館を見て回ることで、いかに家郷の原風景が未来の作家の想像力の源泉になっているかということを、木曽の山並みに枠取られ真夏の光の下に光り輝く田園風景を写真に収めながら実感した次第であった。
 次に訪れたのは、付知の熊谷守一つけち記念館であった。さりげなくこじんまりとしていながら洗練された記念館で、守一の展示作品と藤森武の守一の写真にはとても惹きつられるものがあり、見ごたえがあった。守一は、その文章や語録も魅力的で、ある写真の下に貼り付けられた語録の一節に「独楽」に触れた一言があって、自分は独りでいることが好きで、コマに「独楽」(独り楽しむ)という漢字をあてた妙を褒めていた。
 軸がぶれず高速で回転している独楽は、あたかも一点に止まっているかのように見える。しかし、独楽はたった独りで回っているのではない。独楽だけでは回ることさえできない。コマが独楽でありうるのは、それに必要十分な回転を与えるもの、独楽が最大限に回転し続けることができる平滑な面がなければならない。それに、そもそもそれを可能にする物理的法則が絶対的前提だ。
 今日の締めくくりは、熊谷守一つけち記念館と同じ街にある「おんぽいの湯」であった。ゆったりと温泉につかり、今日の疲れだけでなく、今日までの旅の疲れを一挙に洗い流すことができた。
 二年前に大病をされ、大手術を受けられた御年八十二歳のK先生自らの運転でご案内していただき、ご一緒に過ごす機会を恵まれた今日一日は、私にとって本当にかけがえのない経験であった。ありがとうございました。