内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

飛び去りゆく生への希求のごとく空を横切る一羽の鳥 ― 梯久美子著『硫黄島 栗橋中将の最期』(承前)

2018-08-17 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた『硫黄島 栗橋中将の最期』(文春文庫、2015年)には、初版の新書版にはなかった一章「文人将軍 市丸利之助小伝」が「ドキュメント4」として加えられている。
 本書によると、市丸は歌をよくする軍人だった。一八九一年生まれ。海軍兵学校を出てパイロットになったが、三十四歳のとき訓練中の事故で瀕死の重傷を負い、入退院を繰り返す生活が数年間にわたって続いた。短歌に出会ったのは、軍人として生きることをあきらめかけたこの時期である。与謝野鉄幹・晶子主宰の『冬柏』に所属し、最後の任地となった硫黄島にあっても歌を読み続けた。
 その市丸は硫黄島でこんな歌を詠んでいる。

島の朝蝿の乱舞に眼醒むれば鶯早く鳴けるうれしさ

 著者は、「蒸気噴く火山島である硫黄島にも、米軍が上陸してくる前は、メジロやウグイスがたくさんいた。炎暑と蝿に悩まされる島の暮らしの中で、内地で聞き慣れた鳥の声を聞いたよろこびは、ひとり市丸少将だけのものではなかったろう」と、劣悪な条件下過酷を極めた戦闘中の兵士たちのことを思いやっている。
 この章の中には、市丸以外の兵士たちや民間人についてもとても印象深いエピソードがいくつか記されている。その中でも私の目に止まったのは次の一節だった。

 戦闘が始まっても鳥たちは死に絶えはしなかった。爆撃でほとんどの樹木が丸焼けになってなお、明け方にウグイスの声が聞こえることがあったという生還者の話を聞いたことがある。追い詰められた戦闘末期、爆雷を抱いて地面に横たわり、敵の戦車がやってくるのを待っていたとき、空を一羽の鳥が横切るのを見て、思わず機雷を捨てて起きあがったという人もいた。異様な精神状態の中で自爆しかないと思いつめていた心が、鳥を見てふとゆるみ、我に返ったというのだ。

 人間同士が引き起こす戦闘の渦中にあって、それとはまったく異なる世界の次元がそこにあることをその一羽の鳥はそのとき表現していたのであろう。それに感応した兵士は、思わず機雷を捨てて起きあがり、その一羽の鳥をあたかも飛び去っていく生への希求そのものとしてしばし見つめたのではなかったであろうか。