内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

旅の疲れを癒やす午睡、そしてふるさとを蘇生させる言葉の雫

2018-08-14 23:22:58 | 雑感

 今朝は7時半起床。昨晩遅くまでかなり焼酎を飲んだせいもあり、やや体が重く感じられたが、午前中、中学のプールで2キロ泳いだ。お盆休みということもあり、私以外にも四、五名の利用者があったが、コースロープが張られた一コースを前回同様ほぼ独占状態だった。午後、昼食後、録画されていた番組二つを妹夫婦と見た後、旅の疲れが出たのか睡魔に襲われ、二時間ほど午睡。それで気分はすっきりした。
 夕食後、福地滞在中に著者であるK先生ご自身からいただいた『福地便り』第2巻(福地文庫叢書9)をところどころ読んだ。先月刊行されたばかりの本書は、先生が2004年から2015年にかけて書かれたブログの記事に本人による大幅な修正と加筆がほどこされた撰集(全3巻)中の一巻である。この本については、その全体をちゃんと読んでから拙ブログで改めて取り上げたいと思っている。ちなみに、第1巻は現在増刷中、第3巻は九月刊行予定である。
 K先生がご自身の撰集と併せてくださったもう一冊は、平野屋留治著『福地村九十九曲がり行進曲 ― ぎふけん山の里茫々譜(「麦の会」出版会版、2005年、「譜」には「うた」とルビが振られている)である。かねてよりK先生から本書についてのお話は聞いていたが、その本そのものを手にとったのはこれが初めてである。著者は福地文庫の創刊者である。
 この本、巻末の「刊行の辞」以外はすべて福地弁で書かれている。例えば、「まえ口上」からその一部を引いてみよう。

 そやがここ四十数年がとこまったく忘れとった福地弁やその言いまわしょ頭ひねりひねり思い出しょうったら、不思議やないか、それにつられて昔のお爺ぃやお婆ぁんたの顔やら仕草さのあれこれが飛び出してきよって、なんやかんやしゃべったり動き出しょうらっせるやないか。ありゃりゃちゅう感じやった。[…]福地弁しゃべらんことにゃ昔が戻ってこんちゅう仕掛けゃおもしろいもんやと思った。そんでこうやって言いまわしょひねくりまわしながらひとくさり語らせてもらうわけや。

 全編この調子で、注記まで「方言、言いまわしの解説は本文末尾の「福地弁小事典」を参照してくりょ」と徹底している。
 その内容の面白さについては読んでからでなければ語れないから今は控えるが、言葉(特に実際に幼少の頃から自分が話していた土地の言葉)と記憶との関係についてきわめて示唆的な試みであることは間違いない。巻末の「刊行の辞」には、「ひとにはふるさとを蘇生させる力がある」とあるが、本書は、その蘇生を可能にしているのが自分が生まれ育った土地に響いていた言葉であるということを実際に証明する試みであると言えよう。