なんすか、この暑さ。気象庁発表で東京の最高気温は37度。アスファルトの照り返しがあるところでは10度アップって、勝手に上がってんじゃねーよ、などと、ギラギラと照りつける太陽に向かってお門違いの叫びを心の中で投げつけながら、そんな素振りはいっさい表には出さず、足取りも軽く(なわけねーだろ!)今日も集中講義に行ってまいりました。
外の暑さとは無関係に、エアコンがビンビンきいた演習室で、予告どおり、K先生の特別マン・ツー・マン授業が午後一時のチャイムと同時に始まりました。先生の淀みなく流れる清流にも似た立て板に水の日本語は、高原の深山の仄暗い竹林を吹き抜ける冷風の如く、それを聴くものの脳が真冬の澄み切った空のようにピュアでクリアーになる(って、読む人を少しでも涼しい気持ちにしたくて御託を並べてみました)ともっぱらの評判です(は~ぁ、やっぱだめだ、書いてて空しいし)。
それはともかく、今日は読解の速度のことでもお話ししましょうかね。
その言語を母語とする人たちにはそこまで落とせない速度でテキストを読むときにだけ、そのテキストが垣間見せてくれる形姿、そっと囁き始める内語がある。それを見て取り、聴き取ることができるのは、その言語を外国語として学ぶ者たちだけに許された特権なのだ。
ちょっとやっかいな日本語のテキストの読解に四苦八苦している日本学科の学生たちに向かって、日頃このようにK先生は励ましています。
それは日本で外国語の難解なテキスト(あるいはそのクソ難しい翻訳)に向き合っている日本人の学生たちに対しても、基本、同じです。
なかなか前に進めないことを嘆くな。むしろそれをチャンスだと知れ。なぜなら、限りなく零に近い速度で読むときにしか見えてこない言葉のテクスチャーがあるからだ。それを掴み、そこから思考の織物をゆっくりと紡いでゆけ。
こう激励しつつ、超低速読解の伴奏者として、K先生は今日も学生と涼しい教室で汗を流してきました。
その後の夕食時の冷え切ったビールの最初の一口の美味さ、これはもう、それに比べれば天女が御酌してくれる天上の甘露も苦く感じられるほどでございます。
それを味わうためにこそ、明日もまた、K先生はキャンパスへの坂道を汗を流しながら登るのです。