内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

集中講義第五日目(最終日)― 集中講義後の会食で暴走する

2019-08-02 23:59:59 | 講義の余白から

 最終日の今日、一コマ目は、学生たち三人の発表とそれに対する教師側からの応答とアドヴァイス。今日は、北大のM 先生を特別ゲストとしてお招きすることができたので、先生からもコメントしていただいた。二人の教師との質疑応答という学生たちにとってかなり「贅沢な」な時間であったと思うが、本人たちはどう受けとめてくれただろうか。
 二コマ目は、私の方からの総括。後期の西田の論文のいくつかに見られる「悲哀」「苦悩」という語の哲学的に見て特異な用法は何を意味するのか。これらの語が最後期の西田の論文において現れなくなるのはなぜか。そのことと行為的直観論の登場とは関係があるのか。これらの問題について私なりの解答を示したが、結局のところ、souffrance を哲学の問題として語りうるのはどのような場面でのことなのか、という今回の集中講義の最終的な問いに対する答えを出すことはできず、私自身の課題として残った。
 三コマ目は、学食で、M先生と学生たち三人と雑談。六時少し前にお開き。
 その後、M 先生と奥様とお嬢様と大学近くの中華レストランで会食。お二人とは一年ぶりの再会。集中講義終了の解放感も手伝ってか、小学校三年生お嬢様からの至極まっとうな大人社会に対する疑問への私の回答はかなり暴走気味であった。例えば、「なんでみんな歩きスマホをやめないのか」という疑問に対して、「あれは私も許せない。特に階段を降りながらスマホをいじってのろのろ降りている奴が前にいると、背中を突き飛ばしてやりたくなる衝動を抑えるのに苦労したことは一度や二度ではない」など、大学教師にあるまじき教育上好ましく暴言を吐いて、隣に座っていたM先生を狼狽えさせたりなどした。お嬢様ご自身は、私の回答にいたく満足されていたようであったが。
 食後、お二人と別れ、M先生と神保町に移動して、飲み屋で歓談。
 かくして集中講義最終日を楽しく締めくくることができたのでした。