昨日の記事で話題にしたセミナーでの発表の中で援用されるのはジルベール・シモンドンの技術の哲学であり、引用されるテキストは Du mode d’existence des objets techniques と L'individuation à la lumière des notions de forme et d'information とに限定される。しかし、発表原稿には「隠し味」として少量加えられているいくつかの「エキス」がある。それらはいくつかの互いにまるで異なったテキストから抽出されたものである。それらは、最後に取り上げるテキストを別とすれば、およそ発表内容とは関わりのないテーマを扱っている。しかし、発表する本人としては、それらをそれらとしては識別されない仕方で原稿にそっと溶け込ませることによって、発表内容にいくらかでも深みのある味を出したいと願っている。これらの「隠し味」を今日から一つ一つ紹介していこうと思う。
その第一は、と言っても紹介順が一番という以上の意味はないが、唐木順三『良寛』(ちくま文庫、1989年、初版1971年)の初版の「あとがき」の次の一節である。
良寛は眼の人ではなく、むしろ耳の人であったと私は思う。その書や歌がすぐれてリズミカルなのもそこから来ていると私は思う。音や声や調べや響きに敏感なのもそこから来ている。いわば音楽的であることが良寛の特徴である。単に彼個人の特徴であるというばかりではなく、彼にとっては実在はリズミカルである。春夏秋冬のうつりかわりも、飛花も落葉も、生老病死も栄枯盛衰までもリズミカルである。そのリズムの交響の中に、彼は居る。優游、騰々として其の中にいる。(270頁)
どうしてこれが「隠し味」になるかとお尋ねですか。それはさすがに申し上げられません。