内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

文学への愛と学生たちへの愛情に満ちた名講義を「聴こう」 ―『小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために』

2019-08-31 00:00:00 | 読游摘録

 今月刊行されたばかりの『小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために』は、2004年に筑摩書房より刊行された『さまよえる魂のうた』(ちくま文庫、池田雅之訳、小泉八雲コレクション)から、同じ訳者が、ハーンが東京帝国大学で行った講義録十六篇を選び、大幅に改訳・修正のうえ新編集したものです。ハーンの東大での講義については、昨年の6月10日の記事で一度話題にしていますので、そちらもご覧いただければ幸いです。ハーンの死後にこの名講義が出版されるまでの経緯については、訳者による解説を参照してください。
 訳者が言うように、もし生前に講義録出版の話が持ち上がったとしても、文章の彫琢に長年心を砕いてきたハーンが、草稿も作らず、わずかなメモだけを頼りに行った講義の学生たちによって取られたノートに基づいた講義録の出版を承諾したとは思えません。確かに、この講義録は、厳密には、ハーンの著作ではありません。しかし、「たとえ口述筆記されたものであっても、作家として成熟期にある人間の口吻から淀みなく湧き出てきた言葉であるゆえに、ハーンの『作品』としてその価値と権利を主張してもよいのではなかろうか」という訳者の考えに私も賛成です。
 私たちは、学生たちが充分書き取れるほどゆっくりと澄んだ美しい英語で講義したハーンに対してはもちろんのこと、彼の講義を熱心に聴き、その克明な筆記ノートを残してくれた当時の学生たちにも感謝しなくてはならないでしょう。そして、講義ノートをタイプさせたハーン文学の愛好者でハーンの友人でもあったミッチェル・マクドナルドにも、アメリカでの出版に尽力したコロンビア大学の英文学の教授ジョン・アースキンにも。彼らみんなのおかげで、今もこうしてハーンの名講義を読む、いや「聴く」ことができ、実際の講義の雰囲気を感じることができるのですから。
 本書の翻訳からでももちろんそれを感じることはできますが、英語原文で読めば、あたかもハーンの講義を教室で聴講しているかのような臨場感を味わうことができます。『文学の解釈 Ⅰ・Ⅱ』(Interpretations of Literature, 1915)の原書へのリンクは、昨年の6月10日の記事の中に貼ってありますので、そちらを御覧ください。ここには『人生と文学』(Life and Literature, 1917)の原書へのリンクを貼っておきます。