『玉葉集』中の「夏歌の中に」の詞書が添えられた藤原定家の一首。「行き悩む牛の歩みにつれて舞い上がる塵、その風までもが暑苦しい夏の日の牛車の歩みよ」(『日本古典文学全集』)の意。『歌苑連署事書』は、この歌を、「いと耳を驚かせリ[中略]かの藍田には玉も石もあれども、石をすてて玉をとり、麗水には金も砂もまじれども砂をのぞきて金をひろふなり[中略]捨つべきをば捨て、とるべきをばとるならひは今更いふべからず」、つまり、こういう詠みぶりは好ましくないと非難している。雅を事とする和歌にはふさわしくない題材だというのである。確かに、夏の暑苦しさなど、伝統的歌学が理想とする王朝美からほど遠い。実際、夏の暑さそのものを主題とした和歌は中古から中世にはきわめて乏しい。近世以降の俳諧、近代俳句において夏の暑さを詠んだ佳句が少なくないのと対照的だ。それだけに、行き悩む牛車と熱風に舞い上がる土埃というおよそ美の規範からかけ離れた素材を巧みに組み合わせ、炎暑を見事に形象化してみせた異色作として上掲歌は目を引く。