内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ラ・ボルド病院訪問記(3)「自立」した患者は「患者」ではなく、市民である

2024-04-04 23:59:59 | 雑感

 昨日はL先生のご提案により、ブロア市内の一軒家で「自立」した共同生活を送っている「患者」さんたちのお宅での会議に午後出席させてもらった。その会議とは、「患者」さんたちが発行している不定期の新聞「ガゼット」の編集会議である。
 なぜ「自立」とカギ括弧に入れたか説明する。その一軒家はL先生が会長をしているアソシエーションが借りている。外部からの援助や公的援助は一切受けていない。そこに住む四人の「患者」さんたちはそれぞれ自室を持ち、台所と風呂は共同。各自自室の家賃は払う。食事は各自別々に取ることが多いが、ときには一緒に料理を作って分け合う。共同生活を送っているのは、一人暮らしが困難な心疾患をそれぞれに抱えており、それゆえ助けてくれる人を必要とするからである。しかし、彼らは原則として自分たちで助け合いながら暮らしているという意味で「自立」している。これがカギ括弧をつけた理由である。
 なぜ「患者」とカギ括弧に入れたか説明する。確かに、彼らは診療のための通院やラ・ボルド病院でのデイ・ケアを必要とする。それは一般の市民が病気や怪我で病院に行くこととさして違いはない。ところが、病院に通う必要のある市民は普段の生活においては患者ではない。それなのにどうして長期の心疾患を抱えている人たちには「患者」という恒常的なレッテルを貼らなければいけないのだろうか。彼らもまた医療を必要とする市民であるというだけのことで、他の市民から恒常的に区別されなければならないような「患者」ではない。だから彼らを「患者」と呼ぶのは実は不適切である。これがカギ括弧をつけた理由である。
 その日行われた編集会議の主な議題は、次号に載せる記事やレイアウトだったが、日本の精神医療の現状についての私たちへの質問も会議の中に組み込まれ、私たちの答えたことと今日の会議に出席しての私たちの感想をこちらでまとめて記事にすることが提案され、事実上私がその執筆を引き受けることになった。
 会議の後、ブロアの街を観光するつもりだった私たちは、会議の出席者たちにこの家から街の中心部までどれくらい距離があるか聞いた。歩いていける距離だとわかった。が、道順がわからない。すると、出席者の一人が自分は街の中心部にあるカテドラルのすぐ近くのアパートで三人の「患者」と共同生活しているから、街の中心部まで道案内することを買って出てくれた。もとヴァイオリニストだったという彼は、道中自分の歩く速さが私たちにあっているかどうか気にかけ、穏やかな話し方でいくつかの街の建造物について説明してくれた。その間も私は感じた、普段私がその中で生きているのとは違った時間の流れと空間の広がりの中を歩いている、と。
 大切なことは簡単に言葉にまとめてしまうとつまらなくなってしまうし、人に伝わらない。それはそうかも知れない。が、今回の訪問で経験しつつあることの「痕跡」を僅かなりともリアルタイムで残しておく作業は継続する。