ラ・ボルド病院で金曜日に出席したいくつかのミーティングのことも、水曜日から金曜日の昼食時の患者さんたちとの会話のことも、月曜から金曜までのL先生のお宅での朝食時と夕食時の歓談のことも、それらそれぞれがあまりにも豊かな時の恵みであったので、今すぐにはそれがどういうことだったのか具にここに記せない。
ラ・ボルドでのあのときこのとき、L先生宅でのいつまでも話を聴いていたいと思わせるお話のあれこれ、こちらの思いに心を開いて耳を傾けてくださる先生ご夫妻のお姿をストラスブールで思い起こしている今、感謝の気持ちばかりが溢れ、言葉が追いつかないのです。
「患者」であるなしかかわらず、それぞれの人がそこにただ居たいように居るだけでよいということを実現することがかくも難しく、でもそれが完璧ではないにしても実現されており、それを継続するために日々多くの人がそれぞれの働きにおいて協働している姿をラ・ボルド病院で垣間見ることができたことは、大げさでなく、これを見ずに死ななくてよかったと私に思わせる。
今回の訪問における私の役割は通訳だった。それ以上何も期待せず何も準備せずに現場に臨んだ。結果として、それがよかったのかも知れないと今は思っている。「予習」をして大過なく役割をまっとうすることもできたかも知れない。あえて準備をしなかったわけではない。ただ単に時間がなかっただけだ。そんな無防備な姿勢で現場に入ったからこそ、現場では驚きの連続だった。
今回の滞在で経験したことを、今後少しずつでも、今はそれがどんな形になるかわからないが、自分の研究に活かしたい、心からそう望む。
金曜日、食卓を共にした患者さんの一人が囁いた言葉が今も耳元で響く。かつてフルート・トラベルソの奏者であった老齢の彼は、歩いているときも座っているときも、まるで首が折れたかのようにいつも下を向いたままだ。食卓でもそうだった。その斜め前に座った私に向かって彼は「痛くてたまらないんだよ」と眉をしかめる。どこがどう痛いのかわからない。でも、眉間に皺をよせた彼が苦痛に耐えていることわかる。昼食前にスタッフが配る薬を飲むだけでも彼にとっては一仕事だ。
薬を飲んだ後、ほとんど食卓に突っ伏すような姿勢でため息を吐くように小さな声で彼は繰り返す。 « Je veux guérir. » 直訳すれば、「治りたい」。でも、それは、彼にとって、ほとんど祈りの言葉なのだ。
ちょっと泣きそうにながら、私は « Bien sûr » (「もちろんそうですよ」)と即座に応じた(ああ、何と軽薄な対応だったことだろう)。それに対して彼は « Pas bien sûr »(「なわけないだろう」)とすぐさま返してくる。そうだ。そうに違いない。彼がいったい何年病苦に苛まれているのか、私は知らない。
午後の会議で彼は議事進行スタッフの一人として中央前方の席に座る。首が折れてしまったかのような姿勢はそのままだ。でも、彼の発言に皆耳を傾ける。彼の冗談に皆が笑う。彼も笑う。
その会議中、今日が滞在最終日である私たちに一言挨拶をと求められる。感謝の言葉を一通り述べた後、その日の午前中に出席したミーティングで convivialité の語源について私が話したことを繰り返す。
「Convivere 共に生きる、これがコンヴィヴィアリテの語源的意味です。具体的には、食事を共にすること。ラ・ボルドではまさにそれが実現されていることをこの数日間この目で確かめることができただけでなく、私たちはそのコンヴィヴィアリテに与らせていただきました。四日間という短い時間でしたが、みなさんと今この時と今この場所を共に過ごすことができたことに私たちは心から感謝しています。」