内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ラ・ボルド病院訪問記(4)機会を捉えてスッタフたちにインタビューする

2024-04-05 01:20:51 | 雑感

 昨日は朝からラ・ボルド病院にL先生の車で向かう。pilotis という名の病棟での朝の会に出席した。
 九時半に始まるとのことで私たちは時間前に入室した。すでに何人かの患者さんが来ていて、もう顔見知りの患者さんもいれば、今日はじめて会う患者さんもいた。そのはじめての患者さんの一人が笑顔で「こんにちは」と日本語で話しかけてくる。その彼のとなりに座って、どこで日本語を覚えたかという話をきかっけに日本のポップ・カルチャーについて話し込む。息子が大の漫画好きで『ONE PIECE』は全巻持っているそうだ。
 そこへ初日にすでに会った別の患者さんが割って入ってくる。巨体の彼はしばしば極端な発言をしてみんなを困らせる。発語も不明瞭で聞き取りにくい。何がきっかけだったか思い出せないが、彼が「日本も patriarcal(家父長制的)なものがまだ強いだろう」と言い出したので、正義の倫理とケアの倫理というまさに私が今関心をもって関連書籍を読んでいるテーマの方に話を引き込み、正義の倫理と家父長制的思想の関係、それとは異なるケアの倫理についてしばらく話した。同席していたスタッフの人たちも関心を持ってくれたようだが、場違いな話なので途中で止めた。
 こういっては大変失礼なのだが、容貌魁偉な老婦人が「禅は偉大な哲学だ」と言い出す。呂律がよく回らなくて何を言っているのかわからないときもあるのだが、日本及び日本文化についていろいろ思い出を語ってくれる。それらから推測するに、彼女の時間は一九六八年で止まっているようだ。
 そうこうしているうちに、十数人集まったところで、モニターの一人である女性が「今日は誰が朗読をしてくれるのか」と問いかけると、私が最初に話した男性が、ボードレールの『悪の華』が枕頭の書であると言い、だから当然全部暗記していなくてはならないところなのだけれど、どうしてもできないからと、表紙が傷んだポッシュ版の『悪の華』を開き、« Le chat » を静かに読み始めた。すると、皆聴き入り、部屋が静まり返る。モニターの女性も目を閉じて聴いている。その静けさの中の朗読の時間は短かったが、とても心地よい時間だった。会の合間に、ラ・ボルド病院に来て十年というモニターの方にインタビューをした。とても真摯にこちらの質問に答えてくれた。
 この朝の会に引き続いて同じ部屋で comité hospitalier という重要な会議が組まれていた。その会議開始までの間に、初日に総会で一言挨拶を交わしただけの研修生がすぐ脇の席に座ったので、さっそくインタビューを試みた。心理学部三年生で必修実習としてラ・ボルド病院に一ヶ月間の研修に来てまだ数日だという。どうしてこの病院を研修先に選んだかなどいろいろと質問した。気持ちよく答えてくれた。話の中で彼女が名前を思い出せなかった日本の精神医学者は木村敏のことだと見当がついたので、フランス語訳で読める木村敏の二冊の本を紹介しておいた。
 Comité hospitalierという、医療スタッフと患者たちが責任を担うクラブの代表者たちとの間の話し合いのための重要な会議の中身の詳細については省くが、驚いたのはクラブ側の会計担当が患者さんだったことだ。スタッフと患者との間に相互信頼の関係がなければ決してできないことである。もっとも、こういう二分法的な表現自体がラ・ボルド病院の原則には相応しくないのだが。
 昼食は、日本に強い関心をもっていて、少し日本語が話せる女性の患者さんと、昨年十二月に着任したばかりだという女性の医師の方とご一緒し、そこでもまたその医師の方にいろいろ質問させてもらった。
 午後は、L先生にご自宅まで車で送っていただき、先生だけまたすぐに病院に戻られた。三日間毎日長時間通訳し続けたので、さすがに疲れた。一時間ほど午睡ができたのは幸いであった。
 夕食後、先生の車でブロアの映画館で本日公開の Nicolas Philibert のドキュメンタリー映画 La machine à écrire et autres sources de tracas を観に行った。ラ・ボルド病院の患者さんたちやスタッフも観に来ていた。先生の話によると、もとスタッフで来ている人たちもいるとのことだった。この映画については明日の記事で話題にする。