内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ラ・ボルド病院訪問記(2)互いに開かれた存在としてそれぞれのリズムでそこに居る

2024-04-03 18:11:39 | 雑感

 昨日午前中、ラ・ボルド病院の駐車場から敷地内に散在する建物の方へとL先生に導かれながら歩いていくとき、建物間を結ぶ細道をさまざまな方向にゆっくりと歩いている患者さんたち(このような呼び方もラ・ボルドにおいては実は必ずしも適切とは言えないのだが)を見かけて、そのときはすぐになぜなのかよくわからなかったのだが、流れている空気も時間も違うと直感した。あえて一言で言えば、互いに開かれた存在としてそれぞれの人がそれぞれのリズムでそこに居るとでも言えばよいだろうか。
 敷地内にいるすべての人たちが私服なので、患者さんなのか、スタッフ(医師、看護師、モニター、研修生、事務員などなど)なのか、ちょっと見ただけはわからない。しばらく皆の動き方、姿勢、表情を観察していると、患者かそうでないかはおよそ区別できるようになるが、スタッフ側に白衣・制服・名札などの一目でわかる区別の指標がまったくないので、言葉を交わしている患者さんたちとスタッフの方々とを区別できるようになっても、人と人の間に流れる空気の緩やかさと温かさと開放性、その中での両者の繋がりと患者さん同士の繋がりはむしろより強く感じられるようになった。
 患者さんたちが自由に敷地内を歩いている姿に印象付けられたことをL先生にお話すると、まさにそれがこの病院の大原則なのだとおっしゃられた。つまり、私が直感したことは、この病院が長い年月をそれに掛けてきた、そして今もその形成過程にある経験・実験 ・知恵(expérience)が醸成している雰囲気であり、単なる私個人の主観的な印象ではなかったのだ。そのことは、この病院の伝統である患者さん自身による院内案内をしてくれた二人の方と歩きながらの会話によっても確認された。
 そして昨日のクライマックスは週一回の病院総会だった。この総会には、患者さんたちと病院スタッフすべてが参加し、議事進行はスタッフ一人と患者さんの代表三人とが担当し、順次本日の議題を審議していく。医療スタッフは患者さんたちの間にばらばらに座っており、会議開始後に少し遅れて入室した私たちは全員から歓迎されたが、最初はどこに座ればよいのかもわからなかったが、議事進行チームのすぐ脇に席を作ってくれた。会議の進行を見守っていて、審議への患者さんたちの積極的な発言の数々に驚かされると同時に、すべての発言がそれぞれに尊重され、注意深く聞かれていたことにも深く印象づけられた。
 一つ一つの議題が皆によって共有され、その過程の中で問題の所在が徐々に明らかにされ、解決策が、たとえそれが暫定的なものであれ、模索されていった。予定されていた一時間の枠では収まらず、次回に持ち越しになった議題もあったが、会議の進行の仕方そのものにこの病院の諸原則が凝縮されていると感じた。