内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

文庫本をカバンにしのばせて歩き、ときに取り出して読む愉楽

2025-01-23 06:54:18 | 雑感

 所有している電子書籍の数も日仏英合わせてかれこれ三千冊ほどになり、紙の本と合わせると蔵書一万冊ほどかと思われる。
 電子書籍の占める割合が近年徐々に増加しているのは事実だが、電子書籍を「愛している」わけではない。電子書籍購入は、利便性・実用性・効率性・経済性の点で紙の本に勝る場合、あるいは紙版が入手できない場合が圧倒的に多い。研究上重要な本は紙版と電子書籍版両方を購入し、マーカーや書き込みはすべて電子書籍版で行う。つまり、電子書籍は仕事と余暇のために日々大いに役に立っている。だから、とても「感謝」はしている。
 実用面からも紙の本が電子書籍に勝る点が多々あることは事実だが、それらを抜きにしても、紙の本への私の愛着あるいは執着はいまだに深い。
 なぜだろう。
 一つには、一冊一冊異なる物としての質感がある。これは感覚と記憶に関わる。電子書籍をPC・タブレットあるいはリーダーで読むとき、一冊の本を手にしているという感覚はないに等しく、したがってその一冊に固有の感覚の記憶も残らない。
 一つには、鑑賞のさいの「味わい」が違う。喩えていうならば、同じ味噌汁でも、木製の椀と金属製のマグカップとでは、おのずと味も違うだろう。そんなのは気の所為に過ぎず、中味は同じだし、栄養価も同一じゃないかと言われるかもしれないが、盛り付ける器によって同じ料理の味が微妙に変化するものではないか。
 実用一点張りのときやただ腹を満たしたいときは器などどうでもよいかもしれない。しかし、中味を味わいたいときには器にもこだわりたいではないか。
 なんでこんなことをくだくだと書いているかというと、今、大岡信の『詩人・菅原道真――うつしの美学』(岩波文庫、2020年)を電子書籍版で読んでいるところで、中味は素晴らしいのに、PCやタブレットの画面で活字を追うだけなのがいかにも味気ない。この稀有な名著、初版は1989年、岩波現代文庫版が2008年刊、そして岩波文庫として復刊されたのはつい5年前だというのに、その文庫版が現在版元品切れ状態なのである。中古本なら入手可能ではあるが。
 じっくりと繰り返し読みたいこのような名作の文庫版をカバンにしのばせて出歩き、折り触れて取り出して読むのは、こっそりと美酒を味わうにも似た愉楽である。
 早く復刊してください。