ニーチェの呪縛に捉えられた日本の文学者・思想家・哲学者は少なくないが、唐木も『詩とデカダンス』を執筆していた一九五〇年代初めには、その一人だったようである。実際、同書の「事実と虚構」と題された最初の章には、ニーチェからの引用が多数見られる。
ダンディスムからデカダンスへ、そしてデカダンスからニヒリズムへとヨーロッパ近代思想が頽落していく過程を歴史的に辿り直した上で、ニーチェにおいてその「最極端な形」である「永劫回帰」に達したニヒリズムを唐木は叙述する。その叙述の仕方には、一つの思想を冷静に紹介するというよりは、唐木自身がそのニヒリズムと格闘しているかのような切迫感がある。そして、こう吐露する。
私は、私の言葉を吐こうとしながら、ニイチェの呪縛にかけられてしまっている。一思いにここを飛び越すより外に法がない(68頁)。
だが、その跳躍は容易ではない。なぜなら、唐木による当時の時代認識によれば、「完全なニヒリスト、従って最後のニヒリストであると自らいったニイチェの没後五十年、ニヒリズムはいよいよ色濃く世界の底に動いている」からである。しかし、やはりニイチェがそこから出発したところへ帰ることは避けて通れない途と唐木は考える。「ニイチェとともに出発しなくてもよい、ただニイチェとともにそこへ帰ること。事実へ、自然へ、永劫回帰へ帰ること。それなくしては世界は道化と知らない道化の盛り場に終るより外はない」(70頁)。
唐木は、ニイチェについて論じ始める前に、ヴァレリーの事実と虚構についての論を取上げており、その論がこの章の全体の議論の枠組みになっている。その論によれば、人間社会は、獣性から秩序にまで高まってゆく。野蛮は、事実の時代であり、秩序の時代は、擬制(虚構)が支配する。即自的な事実ではなく、約束事に基づいた制度が発達し、その擬制が現実的な効果を持つことが社会の本質をなしている。
このようにして発達を遂げたのが西洋近代社会だったとすれば、その社会が擬制の果てにニヒリズムに転落するのは必然的な帰結でなければならないことになる。唐木は、ニ―チェの後にハイデガーを取り上げ、ハイデガーが、ニーチェの「権力意志」によってもそこから救われないとしたニヒリズムをいかに克服しようとしたかを探る。しかし、そのハイデガー自身、その克服の途を哲学の内には見いだすことができず、詩人の言葉の中にそれを索める。そこでリルケが登場する。そのリルケの「開け」から、日本の風狂精神への通路が、まさに開かれてくる。