内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(七)

2015-02-04 00:02:44 | 読游摘録

 「因幡の白兎」と題された短い文章は、アメリカ大陸に存在する因幡の白兎の物語の異本に関する覚書。初出は、篠田知和基編『神話・象徴・文学』2、名古屋・楽浪書院、二〇〇二年で、その巻頭を飾っている。
 結論として、すべての証拠が、アジアの大陸部に起源を持つと思われる神話の一体系が、まず日本に、次いでアメリカに渡ったことを示している、と言う。このような仮説に立てば、『古事記』に因幡の野兎の物語があることは、偶然ではない。この物語はそれなりに一つの神話体系に統合されていることを示しているのではないかとレヴィ=ストロースは推測する。
 「シナ海のヘロドトス」は、レヴィ=ストロースが一九八三年五月、沖縄とその近隣の島、伊平屋島、伊是名島、久高島に調査を続けに行く日本人の研究者に同行した際の見聞が主な内容であるが、その時の思いもよらぬある発見がレヴィ=ストロースに一つの比較神話学的考察をもたらす。
 伊平屋島で聴く機会があった、儀式で歌われる神聖な歌の歌詞がレヴィ=ストロースに衝撃を与える。その歌に歌われた物語がヘロドトスの語るクロイソスの挿話に酷似していることに気づいたからだ。これはギリシャの伝説と日本の伝説との間の偶然の類似なのだろうかとレヴィ=ストロースは自問する。単なる偶然とは考えられないとは認めるものの、結論には慎重である。
 それに対して、ミダス王の話が、中世、おそらくはそれよりもかなり前から、極東ですでによく知られていたことは、ほとんど疑いえないとし、その例の一つとして、『大鏡』の中の、珍奇な話を広められないことに息が詰まったために「昔の人は物言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れ侍りめれとおぼえ侍り」という一節を引く。

ミダス王の物語の地方版は、モンゴルやチベットの民間伝承のなかにいくらでも見つかる。それが朝鮮や日本まで行ったとしても、何の不思議もない。クロイソスの話が沖縄諸島にあることも、驚くにはあたらないのだ。古代ギリシャやヘレニズムの要素を豊かに取り入れた仏教は、ギリシャ起源の主題を極東にもたらすことができた。主人公の祖国が一方はリュディア、もう一方はフリュギアであったとしても、それは二つの物語がアジアに起源をもつこと、そこから二つの方向に旅をしたのであろうということを示しているに過ぎない(85頁)。

 世界の神話の旅を辿り直すときに私たちの心に掻き立てられる限りないノスタルジアは、民族間の憎しみ合いで荒みきった世界の中で疲弊しているかに見える現代人の心もなお、人類の文明の創成期の共有された記憶とどこかで繋がっているからだろうか。