風狂は、それ自身の中に自らを裏切る危険を潜めていると唐木は言う。それは、風狂が自己目的化すれば、それはすでに人為であり、どこまでも〈いのち〉の風に吹かれて漂泊する生き方と矛盾してしまうからである。
自然を離れた人間が再び自然に帰ってゆくのに、無技巧・無作為というわけにはいかない。風狂とは、自然へと立ち返る日々の工夫と、その工夫に執着しないという精神の修練との繰り返しからなる果てしない道程でなくてなんであろう。詩人の詩作とは、言語的創造を通じてその道程を歩み続けることにほかならない。〈いのち〉から切り離された死物に満たされた世界の只中で、「開け」は所与として最初から与えられることはない。詩人は、「開け」を作品として言葉のうちに到来させる。それが詩人の業である。
その業の精髄をこの上なく見事に表現した文として、芭蕉の『笈の小文』の序を挙げることができる。唐木も全文引用している(折しも、今日の近世文学史の講義では、学生たちにその原文全文を仏訳と対照させながら読ませた。ネット上でも芭蕉の主要作品は容易に見つかるし、詳しい注釈や現代語訳まで掲載している親切なサイトもあるから、ここにその原文を掲げる必要はないであろう)。その序の最後は、「夷狄を出て、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれ」という、よく知られた一文で締め括られている。この一文の意味するところは、「夷狄」「鳥獣」という自然状態を脱して、創造原理としての自然である「造化」に従い、そこに帰れ、ということだと、一応は解釈できる。
しかし、それは、野蛮人の未開性から、あるいは動物的直接性から、風雅に徹することで己を解放し、今そこに生まれつつある自然をそれとして見出し、その中で生きよ、ということなのだろうか。それはそうだとしても、この文の直前の文にあるように、風雅を忘れれば、たちどころに「夷狄」にひとしく、「鳥獣」に類するものに逆戻りするのだとすれば、私たちのうちにはつねに「夷狄」や「鳥獣」が潜伏しており、油断をすれば、たちまちそれらは表に態度として現れてくるであろう。
しかし、そのような内なる危険は、造化への回帰を繰り返しやり直すことを妨げはしない。「夷狄」や「鳥獣」は、たとえ未開や野生であったとしても、決して自らを破壊しようとはしなかったし、ましてや自分たちを取り巻く環境を破壊しようとはしなかった「弱き」存在でしかなかった。
ところが、芭蕉が知らない「近代人」は、「夷狄」や「鳥獣」にはありえない、己が属する種に対する大量虐殺と己の種もまたそこに属する類の存立を危うくする大量破壊を実行できる力を持った「強き」存在であり、その存在のうちには、近代以前の人たちが知らなかった、限度を知らない自己破壊的「暴力性」があたかも宿痾のように巣食ってしまっている。
現代の私たちは、獣性を手なずけ、未開性を克服し、近代をも「超克」した、文明の最先端を走り続ける人類の成員なのだろうか。そうだとして、それは果たして誇るべきことなのだろうか。それに、誰に向かって誇るというのか。神に向かってか。
無数の「夷狄」を飢えの苦しみと死と隣り合わせの恐怖の中に放置したままでいられる傲慢な無関心と、無数の「鳥獣」を無益に虐殺しつづけることに何の痛痒も感じない冷酷な残虐性とが、現代人の属性だとすれば、多くの日本人が今も最も愛する詩人だと海外でも紹介されることの多い芭蕉の声は、現代の暴風に吹き千切られ、自然を愛してやまない国民だとしばしば紹介される当の日本人の耳にさえ、もうほとんど聞き取れなくなってしまっているのだろう。