内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(最終回)― 近代日本における主体概念の数奇な「運命」

2017-03-21 00:00:00 | 哲学

 連載「戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み」は、二十回目となる今日の記事が最終回です。連載の締め括りとして、言語過程説の中に見られる主体概念の数奇な「運命」について一言します。

 言語過程説におけるこれまで見てきたような「主体」概念は、奇しくも、西洋言語におけるその語源である古代ギリシア語「ヒュポケイメノン」の二重の語義を以下のような仕方で見事に反映している。言うまでもないことだが、時枝自身にはそのような意図は欠片もなかったことは明らかである。
 ヒュポケイメノンは、元々は「下に置かれたもの」という意味であり、それが「他のものの下支えとなるもの」と「他のものに従属させられたもの」という二つの位相に自己差異化する。これはアリストテレスの著作群の中で確認することができる。
 言語過程説における主体は、一方で、言語活動の一切を下支えするその根本的な存在条件であり、他方で、言語活動において置かれたその都度の場面の諸条件を受け入れ、それに従って表現活動を行う自発的従属存在である。つまり、言語過程説における主体のこの二重の位相は、それぞれヒュポケイメノンの二つの位相に対応しているのである。
 西洋哲学史において、ヒュポケイメノンは、この二重性を抱えたまま、ラテン語subjectum, そしてsubject, sujet, Subjektと英仏独語に訳され、古代から近代までを通底している哲学的根本概念の一つである。ところが、カント哲学において認識のSubjekt が、認識の中心とみなされるようになり、認識の下支えからその「主人」へと「転生」したとき、ヒュポケイメノン元来の「下に置かれたもの」という意味は、西洋哲学において抑圧され、深い忘却の中に沈んでいく(英仏語では、しかし、哲学以外の分野で、ギリシア語本来の語源的意味が命脈を保ち続ける)。
 カント以降の「近代的」主体の歴史がヒュポケイメノンの抑圧・隠蔽そして忘却の歴史であると言ってよいとすれば、言語過程説において時枝が主張する主体的立場は、その深い忘却の中に沈んでいたヒュポケイメノンの本義の想起・復権、そして二十世紀前半におけるその一つの展開の可能性の提示と見なすこともできるだろう。この意味で、言語過程説は、一つの近代の超克の試みであったと言うことができると私は考える。












戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十九)― いかなる学問も政治に中立ではありえない

2017-03-20 07:25:38 | 哲学

 昨日の記事で考察した時枝の主体概念の諸規定に従う限り、言語主体に外的拘束性としてある個別言語を外部から強制することは、その言語主体の主体性の破壊にほかならず、結果として、その言語活動そのものを否定することにならざるを得ない。つまり、言語過程説そのものの中には、ある主体に特定の個別言語を外的に強制することを肯定するような理論的根拠は見出しえない。時枝が太平洋戦争中に支持したような植民地における国語政策論は、したがって、言語過程説からはどのようにしても導き出し得ないはずである。
 太平洋戦争期の植民地朝鮮における時枝の国語政策論は「帝国主義的」だとして批判されたことがこれまでにも幾度かあった。それは「ポストコロニアリズム」という視角の中でのことであった。確かに、昭和十七年八月(座談会「近代の超克」が行われた翌月)に発表された論文「朝鮮における国語政策及び国語教育の将来」を読めば、その批判に一定の妥当性があることは認めざるを得ないだろう。
 しかし、他方、その余勢を駆って、というか、それだけのことで鬼の首でも取ったかのように燥いで、時枝の言語思想全体が「帝国主義的」だという方向に批判を一般化するわけにはいかないことは、これまでの私たちの考察から明らかなはずである(と信じたいが...)。一個のれっきとした思想に一枚のレッテルを貼ることでそれを葬り去ろうとすることは、その態度の硬直度において、戦中の特高と選ぶところがない。
 とはいえ、時枝の言語思想をそのような不当に一般化された批判から救済することそのことがここでの私たちの目的ではない。そのような救済は必要でさえない。なぜなら、そのような思想的に貧困な教条的批判者たちの著述が誰からも顧みられなくなるのは時間の問題だからである。
 それでもなお問われなくてはならない問題があるとすれば、それは、植民地朝鮮での時枝の国語政策論が自身の構築した言語過程説からの逸脱であるとして、その逸脱の理由は何か、ということである。しかし、それは、日本近代思想史研究における一つの特殊課題としてではなく、学問と政治という、古くて新しい根本問題の一つのケース・スタディとして問われなくてはならないであろう。
 いかなる学問も、政治的に中立ではありえないし、政治に無関係ではありえない。学問する当人が、あらゆる政治的関与を拒否して、あるいは、ただ政治に無関心だからという理由で、象牙の塔に籠ったとしても、同じことである。政治的に完全に中立な象牙の塔など、この世に存在し得ないからである。
 学問と政治の関係という問題は、言うまでもなく、途方もなく大きくかつ複雑な問題である。まさにそうであるからこそ、一般的・抽象的にそれを論ずるのではなく、戦中日本の事例研究の一つとして、当時の資料に基づて歴史的文脈を細心の注意を払って辿り直しながら、同時代の他の諸事例とも比較しつつ、時枝の言語思想の形成過程とその政治的「逸脱」をイデオロギー的先入見なしに考察する必要があるだろう。












戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十八)― 言語過程説に見られる主体概念の「捻れ」について(承前)

2017-03-19 13:55:20 | 哲学

 昨日の記事の続きで、言語過程説における主体概念の「捻れ」について考察する。
 まず、『原論』総論第十節「言語の社会性」から何箇所か引用する。そのそれぞれの引用を別の言葉で言い換え、前後の文脈を考慮してそこから若干議論を展開することによって、私なりに時枝の論旨を了解することに努める(各引用末の括弧内の数字は岩波文庫版上巻の頁数)。

言語の目的は、内を外にし、主体を表現する処にある。(160)

 この一文を読む限り、主体とは内的存在であり、その表現意欲の外的実現という目的のために言語は用いられるということになる。さらに、その前後の文脈を考慮して、時枝の主張を展開すると、次のようになる。言語主体の志向は、個別言語の文法に先立って働いていなくてはならない。その志向が具体的言語使用の様態を決定するのであって、個別言語の文法によってその志向が拘束されることはない。

了解を考慮するということは、場面について考慮し、主体が場面に融和しようとする態度である。(160)

 したがって、語る主体は、ある場面において、そこでの聴き手の了解を第一優先するとき、置かれた場面の諸条件を考慮して、その場に最も相応しい表現を採択しようとする。つまり、語る主体は、置かれた場面によって拘束されているのではなく、自らその場面に合わせようとする。語る主体は、いかなる場面においても、状況から独立した自律的で自由な主体であり続けるのである。

言語に於いては、屢々素材の的確な表現を捨てても場面に合致した表現をとろうとすることがある。(161)

 語られている内容そのものについて最も的確な表現がそれ自体でその場面での最良の表現であるとは限らない。場面に応じて、それに対して「融和的」に主体が自ら選んだ表現がその時その場面での最良の表現である。

言語の不可欠な存在条件である場面に対する主体の顧慮を考えることは、言語の真相を把握する所以であり、又言語の社会性を明かにする足場であるといわなければならない。この様にして、聴手並に聴手を含めた場面一般に対する顧慮から、方言を捨てて標準語に準拠するということも行われるのである。(161‐162)

 この箇所を読んですぐに気づくことは、場面の諸条件が異なれば、「場面一般に対する顧慮」というまったく同じ理由で、標準語を捨てて方言を使うという逆方向の選択もありうるということである。さらには、了解を求めたい相手が日本語を解さなければ、その相手がこちらの考えを了解できるように相手が解する言語を採択するという決断も、主体によって自発的になされるべき場合もあるだろうということである。

又言語に於いて認められる拘束力は、我々に外在する処の「言語(ラング)」並にその法則にあるのではなくして、言語表現を制約する処の主体的な表現目的及び了解目的にあるのである。我々が他人の了解を求めようとする意識なくして、或は他人を了解しようとする意識なくしては、我々の間に共通した言語習慣が成立することはあり得ない。「言語」の外在性と拘束性は、要するに言語に必然的に備る右の様な主体的意識を外界に投影したものに外ならないのである。(162-163)

 実際の運用場面において言語表現に一定の制約が認められるのは、言語主体がそれを自らすすんで受け入れたからである。つまり、言語主体とは、その場での表現目的及び了解目的のために自らすすんで諸制約を受け入れることができる自発的被拘束可能存在なのであり、いわゆる言語の外在的拘束性は、その主体に内属する権能が対象界に外在化されたものにほかならない。
 要するに、言語主体とは、己の内的意図の表現及びその意図の聴き手による了解のために、その都度の言語活動の場面において、自らすすんでそこでの諸制約に自己を従属させることができる自発的受容可能存在だということである。
 しかし、ここから導かれうる論理的帰結の一つは、いかなる言語主体も、それが主体的であり得るためには、外部からその表現意志が拘束されてはならない、ということであるはずである。主体は、個別言語の諸制約から自由であり独立しており自律的であるかぎりにおいて、その諸制約を自発的に受け入れることができる言語主体たりうるからである。












戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十七)― 言語過程説に見られる主体概念の「捻れ」について

2017-03-18 18:44:56 | 哲学

 『国語学原論』第一篇総論は、岩波文庫版で百五十頁余りだが、その中に「主体」及びそれを含んだ表現が現れる頁は百頁を超える。つまり、全体の三分の二を超えるほどなのである。今回の発表のために文庫版上巻に関してのみ「主体」並びにそれを含む表現(「主体的立場」「主体的意識」「言語主体」等)の索引をエクセルで作成したのだが、もううんざりした。
 しかし、この機械的作業の最中にところどころ内容を理解しようと繰り返し読んだおかげで、『原論』における主体概念の奇妙な「捻れ」に気がつくことができた。索引なんか作成しなくても、そんなことはちょっと読んだだけでさっとお分かりになる明敏な方たちも少なくないであろうが、愚鈍な頭脳の持ち主である私の場合は、このような手作業にいくらかの時間をかけることではじめて、読解が徐々に深まっていくのだから致し方ない。
 喩えて言えば、トップ集団からは何周も遅れてやっとのことでゴールって感じだろうか。そのゴールの瞬間だけ写せば、トップランナーたちと「同じ場所」に到達したようにも見える。でも、他の選手たちはとっくにゴールしていて、もうそこにはいないのだ。ところが、そういう結果ならそれはまだましな方で、遅いうえにコースから外れてしまい、挙句の果てに道に迷って独り途方に暮れてしまうなんてこともある。
 くだらん前置きが長くなってしまった。さて、『原論』における主体概念の捻れである。それに気づいたのは、『原論』総論第十節「言語の社会性」を読んでいたときのこと。僅か七頁のこの節にも「主体」並びに「主体的な表現過程」「主体的な目的意識」「主体的な表現行為」「主体的な表現目的」「言語主体」「主体的立場」などの表現が用いられている。「主体」「言語主体」「主体的な動的な言語事実」「主体的立場」は複数回出てくる。
 この節でも、言語過程説の基本的テーゼが前提とされているのは言うまでもない。言語の本質を専ら主体的な表現過程と考え、言語を個人の外に存在し、個人に対し拘束力を持つ社会的事実であるとする考えに反対するというのがその主旨である。他方、何らかの社会的な拘束力が私たちの言語生活を規定していることは、時枝もこれを認めざるをえない。時枝自身が挙げているそのような例の中から一つ選び、それを今風に言い直せば、学生は教師とはタメ口をきいてはいけない(って、現実にはそうでないケースもあるが、今はそれは措く)。
 つまり、一方で、言語が個人にとって社会的拘束力を持つ外在性であることを否定しつつ、他方で、或る社会内での個人の言語使用は一定の拘束を受けることを事実として認めるのである。
 ところが、言語それ自体の社会的拘束性の原理的否定と、現実の言語使用の社会的拘束性の事実的肯定という、同節に見られるこのような二重の前提が、主体概念に関して奇妙な帰結をもたらしてしまうのである。













戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十六)― 語る主体における個別と普遍との弁証法的過程

2017-03-17 19:02:46 | 哲学

 日本語という個別言語の性格を分析する方法を日本の伝統的文法理論の歴史の中に探索し、他方では、言語一般の本質を言語過程として捉え、言語の存在条件として主体・場面・素材を根底に据えるの一般言語理論を構築した時枝の思想は、個別と普遍との間の緊張関係に貫かれている。個別的なものの振る舞いをその細部に至るまで探究することを通じて普遍的なものへ到達しようとする志向が一方にあり、普遍的な原理の思索あるいはスペキュレーション(時枝自身がこの言葉を『国語学への道』の中で使っている)の妥当性を一つの個別言語の諸事実に照らし合わせて検証するという志向が他方にある。互に真逆のこれら両志向性が時枝の言語本質観の磁場を形成している。
 その言語本質観の探究の主体は、その磁場の中でしか思考することができない。なぜなら、普遍性への飽くなき志向を放棄した個別性への独善的内閉も、個別性への絶えざる注意を放棄した普遍性への無批判的安住も、どちらも思考の死を意味するほかないからである。
 ある個別言語の中で思考するほかない主体は、しかし、その個別言語そのものを徹底して考察することを通じて言語一般の本質へと到達することができれば、その個別言語をその固有性に従って使用しながら、その固有性に無自覚に拘束されることはなく、それに対して超越論的であるという意味で、普遍的立場に立つことができているはずである。
 時枝が執拗なまでに主張し続けた主体的立場とは、このような個別と普遍との弁証法的過程の生きた現場のことなのではないだろうか。












隠し味

2017-03-16 22:29:40 | 雑感

 今日から連載「戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み」を再開するつもりだったのですが、昨晩カテドラル近くのカフェ・レストランで行われた日仏の学生たちの懇親会でちょっと飲み過ぎ(だって、とても楽しい会でしたから)、今朝は日課の水泳もサボって八時過ぎにようやく起き出し(普段は五時起床だから、ちょっと個人的罪悪感を懐きつつ、でも、たまにはこれくらいいいじゃんって開き直り)、午前中はメールの処理やらオフィス・アワーやらであたふたとキャンパスで過ごし、午後は自宅で一昨日の日本古代史の試験の答案の採点に費やし、やれやれ採点終わったぜ(何枚かこちらの出題意図をちゃんと理解してくれたすごくできのいい答案があって、採点もその分楽しかったけど)と窓外に目を転じれば、もう日暮れ時でした。
 今朝からというか、ここ数日ずぅ~となんですが、気になっている来週土曜日のシンポジウム(こちらがそのフライヤー)での仏語発表原稿(まだ一行どころか一文字も書いてないんですよ。どうするの?)は、明日から書き始めることにして(まあ、その気になれば一日で書けるさって、どこから来るのか自分でもわからない根拠なき過信で己を鼓舞し)、夕食後の今(つまり、もう仕事はしない、というか、できない時間帯に、なぜって、性懲りもなく夕食時に飲むからですが)、眼前の書斎の机の上に積まれているのが、以下の五点の書籍です。

Monique Dixsaut, Platon, Vrin, 2012
Hervé Le Bras & Emmanuel Todd, L’invention de la France, Gallimard, 2012
Le mystère français, Seuil, 2013
Alain de Libera, La querelle des universaux, Seuil, « Points Histoire », 2014
Étienne Balibar, Des Universels, Galilée, 2016

 これらの著作に共通している問題は、普遍的であるとはどういうことか、という問いです。言うまでもなく、この問いは、これらの著作できわめてヨーロッパ的な文脈で提起されています。これらの著作が来週のあんたの発表と何の関係があるの? さっさと自分の原稿書いたらどうなの? って思われる方もいらっしゃることでしょう。
 ご説、ごもっともでございます。でもね、恐れながら申し上げますと、時枝誠記が日本語という個別言語の探究を通じて言語本質観を立ち上げるときの根本的な問いがまさに個別(あるいは特殊)と普遍との関係なのです。つまりですね、これらの著作の中身は(ここだけの話にしておいてくださいよ)、私の発表にとっての「隠し味」なんですよ。
 はぁ~、なんか知らんけど、疲れたぁ、今日は。もう何も考えられん。ユーカリエキス入りのお風呂にどっぷり浸かってから、寝ます。














「一里」考 ― 個体にその個体性を失わせ、吸収してしまう〈一〉の曖昧性

2017-03-15 11:31:58 | 哲学

 昨日の記事で取り上げた芭蕉の句「一里はみな花守の子孫かや」の仏訳が二種手元にある。一つは René Sieffert 訳(Bashô, Le Manteau de pluie du Singe, POF, 1986)、もう一つは Makoto Kemmoku & Dominique Chipot 訳(Bashô, L’intégrale des haïkus, Sueil, « Points Poésie », 2012)。順に両訳を掲げる。

Tous les habitants
de ces lieux descendraient-ils
de gardiens des fleurs

Tous ces villageois
seraient-ils les descendants
des gardiens de fleurs ?

 昨日の記事で引用した上野洋三の同句の注釈の主旨に従えば、どちらの訳も肝心な「一里」の〈一〉性を脱落させてしまっていると批判されなくてはならない。「一里はみな」がすべての住人あるいは村人たちという複数形に置き換えられてしまっているからである。しかし、これはこうするしかないだろう。他の欧米言語でも事情はおおよそ同様ではないだろうか。
 古代の花守たちの子孫でありうるのは、一つの全体としての「一里」ではなく、その全体集合を構成している複数の住人たちなのだから、仏訳における複数形の採用は、その意味で、まったく理にかなっているとむしろ言わなくてはならない。
 単複を厳密に区別するその論理に従えば、各個体にその個体性をあっさりと失わせ、そこに吸収してしまう処の〈一〉の曖昧性こそ、哲学的には批判的に問題化されなくてはならないことになる。













一里はみな花守の子孫かや ―〈零〉に対するものとしての〈一〉

2017-03-14 19:01:38 | 詩歌逍遥

 今日と明日、連載「戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み」をお休みします。このテーマで書きたいことはまだまだあるですが、連載のせいで記事の調子が重たく単調になってしまっているので、ちょっと小休止しようかなという心です。こんなときは、僅かでも日本の古典を読むと心が潤いますね。
 今日の記事のタイトルに掲げた一句は、『猿蓑』に次の詞書とともに収められている芭蕉の発句の一つです。

いがの国花垣の庄は、そのかみ奈良の八重桜の料に附けられけると云伝えはんべれば

一里はみな花守の子孫かや             (元禄三〔一六九〇〕年)

 「奈良の八重桜の料」云々は、『沙石集』『古今著聞集』等に語られている平安時代の故事に由来します。『沙石集』によれば、一条天皇の后上東門院(道長の長娘彰子)が興福寺の八重桜を召し上げようとした際、命がけで反対した僧徒の風雅心に感心した后は、かえって伊賀国余野の庄を八重桜の領として興福寺に寄進し、花盛りの七日間は垣を結って、里人たちに宿直として守らせることにし、以来、その地を花垣の庄と呼ぶようになったとあります。
 芭蕉の句の鑑賞には直接関係しませんが、『沙石集』の当該箇所(岩波古典文学体系本ですと、巻第九(四)「芳心アル人ノ事」、三七六-三七七頁)には、八重桜の召し上げに対して重罰も怖れずに断固反対する大衆(「だいしゅ」と読み、貴族出身ではない一般の僧侶たちのこと)の、粗暴な振る舞いながら八重桜の名木をこよなく愛する姿が活写されていて、それは上東門院に「奈良法師ハ心ナキモノト思タレバ、ワリナキ大衆ナリ。實二色フカシ」と言わしめているのも宜なるかなと思わせるほどです。
 さて、上掲の芭蕉の句に関しては、二月一八日の記事で取り上げた上野洋三『芭蕉の表現』(岩波現代文庫)に興味深い考察が示されています。そこを省略せずに引用してみましょう。

「一里はみな」は、あの人も、この人も、と数えたてて、その複数の合計を「みな」というのではない。そして、そのような人々の村落共同体を「ひと里」ととらえたのではないのである。他方また、それは、「ひと里」のどの部分を切りとっても、断面に全く同じ「花守」の顔があらわれるというのでないことも、もちろんである。「里」と「ひとつ」として把握し、現前せしめる「ひと里」の一語が、揺るぎなく、確固として、すべてである。そこに、根底的に問題が開始されるのである。「ひと里」(原文では「ひと」に傍点が振られている)の「ひとつ」は、このように、複数の合計としての「ひとつ」でもなく、複数に対立するものとしての「ひとつ」でもなく、もっぱらゼロに対するものとしての「ひとつ」である。「ひと里」は、村落共同体(原文では「共同体」に傍点が振られている)というより「全体」なのである。(一〇七-一〇八頁)

 ちょっと大仰な物言いがときに気になる著者なのですが、「もっぱらゼロに対するものとしての「ひとつ」である」という一行を読んだときには、ちょっとハッとさせられました。この解釈に従うと、花垣の庄を単に現在の空間の中で花の里と捉えるのではなく、平安時代から現在へと途絶えることなく続く「ひとつ」の里として捉え、古代より今に至るまでこの庄の住人たちはみな古代の花守たちの子孫なのかしら、と、当地に立ち寄った折に挨拶した句ということになります。
 上二句「一里はみな花守の」が響きも美しく桃源郷のような香気を漂わせているのに対して、結句「子孫かや」には、疑問・詠嘆とともに、微量ですが諧謔味も感じられます。それが俳諧たる所以なのでしょう。













戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十五)― 総論と各論との間の「溝」

2017-03-13 20:16:58 | 哲学

 岩波文庫版『国語学原論』は、上下二巻本として、ちょうど十年前の2007年に刊行された。太平洋戦争勃発直後の1941年12月に同じく岩波書店から刊行された初版から数えて六十六年後のことである。その下巻末に前田英樹による解説文「時枝誠記の言語学」が収められている。三十五頁とかなりの長文で、時枝言語学の魅力について縱橫に論じられていて、読み応えがあり、教えられるところも多い。
 「時枝は、言語学における近代そのものを批判する」と前田は言う(288頁)。私は基本的にそれに同意する。今回の拙ブログの連載のタイトルを「もう一つの近代の超克の試み」とした理由もそこにある。
 他方、前田が解説文の最後に「彼の本領は、言語過程説を主張する「総論」よりも、「詞」と「辞」とのめまぐるしい関係の細部へと分け入る「各論」にある」と言うとき(309頁)、それに満腔の同意を表するとともに、まさにそうであるからこそ、「総論」と「各論」との間の「溝」が問題にされなくてはならないのではないか、と私は問いたい。
 ついでだが、時枝におけるこの溝は、和辻哲郎の『風土』に見られる第一章と第二章以降との間の溝と好対照をなしている。『風土』では、総論にあたる第一章「風土の基礎理論」に見られる豊かな理論的可能性を第二章以降の決定論的記述が裏切ってしまっているからである。
 しかし、和辻の場合も時枝の場合も、総論あるいは各論において、理論的に救えるところは救って、あとは批判的に切り捨てればよいというような簡単な問題ではない。
 時枝の言語理論に関しては、次の三つの論点から批判されなくてはならないと私は考えている。
 第一点は、これまでの記事でもすでに瞥見してきたように、言語過程説は言語理論として矛盾を内包しているという、時枝の言語理論それ自体の論理的整合性に関わる批判である。
 第二点は、言語本質観として展開された言語過程説が社会言語学・言語教育・言語政策などの分野において適用される際に見られる理論と実践との不整合性に関わる批判である。
 そして、第三点は、上掲二点の批判の対象となった問題の発生源を突き止めるという、より根本的な次元での批判である。












戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十四)― 隠蔽された超越論的主体

2017-03-12 15:57:11 | 哲学

 言語過程説の根本問題をより明確に剔抉するための手掛かりを得るために、三月二日の記事で言及した森岡健二の論文「言語過程説の展開」(『講座 日本語の文法 1 文法論の展開』、明治書院、昭和43年、214-265頁)に立ち戻ってみよう。
 森岡は、同論文の中で、言語過程説が「長い道程のなかで、時枝自身の内に発酵し、時枝自身の創意によって体系化されたものと思われるが、しかし、そうはいっても、当時の哲学や科学が、これと全く無関係であったとも考えられない。意識するとしないとにかかわらず、当時の学問の動きがその体系化の背景となり支えとなって、時枝の思弁を援けたとは言えないだろうか」(219-220頁)という問題意識から、時枝理論とその同時代思想のとの間に共鳴を聴き取ろうと試みている。
 その中で私が特に注目したいのは、二十世紀初頭のゲシュタルト心理学が十九世紀の構成主義的心理学に対して要素主義から機能主義への転換を図った方向性と時枝の言語理論の方向性との相同性を指摘しているところである。両者に共通する基礎的定立は、「あるがままの所与は、決して独立した断片でなく、多少とも分節化された全体、すなわち全体分節的な体制にほかならない、いいかえれば、部分は他から切り離された独立体でなく、有機的全体の中に機能している分節だ」(222頁)という見方である。
 ところが、森岡の指摘とは裏腹に(というか、この部分の森岡の記述は最初から論理的不整合に陥っている)、両者の基礎的定立を公式化して示そうとすると、むしろ両者の間の乖離が際立ってしまうのである。
 ゲシュタルト心理学における三要素である行動・人・場面の相互関係は、それらをそれぞれB・P・Eとすると、次のような関数関係として定式化することができる。

B=f (P・E)

 ところが、時枝における言語活動(B)は、主体(P)と場面(E)との間のそのような関数関係として定式化し得ない。時枝自身の用語により忠実に、この三項を主体・場面・素材に置き換えてみても、結果は変わらない。つまり、時枝における主体は、いかなる意味でも他の二項と関数関係を構成する一項にはなりえないのである。
 このことには森岡も漠然とは気づいており、「時枝学説における「主体」「場面」「素材」の言語の存在条件は、相互の機能的関連が必ずしも明瞭ではない。何となく言語という行動の外に、それを支えるものが存在しているという印象を与える」(224頁)と指摘している。
 これを「何となく」ではなくより正確に言えば、こうなろう。
 場面と素材については、「他から切り離された独立体でなく、有機的全体の中に機能している分節だ」ということは時枝理論の中でも維持されうるが、主体に関してはそうはいかない。主体は、場面と素材に対して関数関係にはない。なぜなら、主体は有機的全体としての言語過程全体を成り立たせている根本条件だからである。言い換えれば、具体的に生きられた言語過程(場面と素材からなる)に対して超越論的であるかぎりにおいて、主体はその言語過程全体の存在条件たりうる。したがって、この言語の存在条件としての主体Sは、言語活動において表現された主体、つまり、場面と素材との関係によって限定され得る主体sには還元され得ない。
 この超越論的主体Sは、したがって、時枝自身が『原論』「総論」で示しているような、場面と素材とを他の二つの頂点とする三角形のもう一つの頂点ではありえない(『国語学原論(上)』、岩波文庫、2007年、58頁)。むしろ、この主体Sは、その三角形の図式によって隠蔽されてしまっている、と言わなくてはならない。