内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(十九)― いかなる学問も政治に中立ではありえない

2017-03-20 07:25:38 | 哲学

 昨日の記事で考察した時枝の主体概念の諸規定に従う限り、言語主体に外的拘束性としてある個別言語を外部から強制することは、その言語主体の主体性の破壊にほかならず、結果として、その言語活動そのものを否定することにならざるを得ない。つまり、言語過程説そのものの中には、ある主体に特定の個別言語を外的に強制することを肯定するような理論的根拠は見出しえない。時枝が太平洋戦争中に支持したような植民地における国語政策論は、したがって、言語過程説からはどのようにしても導き出し得ないはずである。
 太平洋戦争期の植民地朝鮮における時枝の国語政策論は「帝国主義的」だとして批判されたことがこれまでにも幾度かあった。それは「ポストコロニアリズム」という視角の中でのことであった。確かに、昭和十七年八月(座談会「近代の超克」が行われた翌月)に発表された論文「朝鮮における国語政策及び国語教育の将来」を読めば、その批判に一定の妥当性があることは認めざるを得ないだろう。
 しかし、他方、その余勢を駆って、というか、それだけのことで鬼の首でも取ったかのように燥いで、時枝の言語思想全体が「帝国主義的」だという方向に批判を一般化するわけにはいかないことは、これまでの私たちの考察から明らかなはずである(と信じたいが...)。一個のれっきとした思想に一枚のレッテルを貼ることでそれを葬り去ろうとすることは、その態度の硬直度において、戦中の特高と選ぶところがない。
 とはいえ、時枝の言語思想をそのような不当に一般化された批判から救済することそのことがここでの私たちの目的ではない。そのような救済は必要でさえない。なぜなら、そのような思想的に貧困な教条的批判者たちの著述が誰からも顧みられなくなるのは時間の問題だからである。
 それでもなお問われなくてはならない問題があるとすれば、それは、植民地朝鮮での時枝の国語政策論が自身の構築した言語過程説からの逸脱であるとして、その逸脱の理由は何か、ということである。しかし、それは、日本近代思想史研究における一つの特殊課題としてではなく、学問と政治という、古くて新しい根本問題の一つのケース・スタディとして問われなくてはならないであろう。
 いかなる学問も、政治的に中立ではありえないし、政治に無関係ではありえない。学問する当人が、あらゆる政治的関与を拒否して、あるいは、ただ政治に無関心だからという理由で、象牙の塔に籠ったとしても、同じことである。政治的に完全に中立な象牙の塔など、この世に存在し得ないからである。
 学問と政治の関係という問題は、言うまでもなく、途方もなく大きくかつ複雑な問題である。まさにそうであるからこそ、一般的・抽象的にそれを論ずるのではなく、戦中日本の事例研究の一つとして、当時の資料に基づて歴史的文脈を細心の注意を払って辿り直しながら、同時代の他の諸事例とも比較しつつ、時枝の言語思想の形成過程とその政治的「逸脱」をイデオロギー的先入見なしに考察する必要があるだろう。