このXTCの「ヨット・ダンス」は、タイトルどおり、海の波間にヨットが行きかう静かの海を見ているような穏やかさを感じる。
XTCのこの曲の入った「イングリッシュ・セツルメント」【写真】は、私が高校1年生の1982年の春から夏にかけて発売になった。
以前にも増して、POPになったXTC。
プロデューサーがヒュー・パジャム。1981年のポリスの「ゴースト・イン・ザ・マシーン」に続き、繊細な音色、繊細な音作りが美しい。
高校生になって初めての夏、この「ヨット・ダンス」も入った自作のカセット・テープを作って海に行った。
この夏には、「ヨット・ダンス」をよく聴いた。
ン、チャッチャ、ン、チャッチャ、というワルツの曲。
サウンドストリートでも幸宏と教授が、「なぜか、最近、このようなフォークのような不思議な曲が多い」といっていたのを記憶している。
そういえば、当時のストラングラーズもそういった曲を作っていた。
イギリスでは、ファンカラティーナが登場した頃だったのである。
確かにそういった時代の流れはあった。
ヘアカット100の曲や、ファンカポリタンの「AsTheTimeGoesBy」、ピグバグ(Pigbag)など、ハイチ・レゲエなどのムードがロックと入り混じったムーヴメントが起こりつつあった頃である。
ジャムなども「TheGift」でホーンを入れたファンクっぽい音楽を発表したし、ブロンディも今ビールのCMで使われている「夢見るNo.1」や「IslandOfLostSoul」なんて曲を出したし、B-52'Sは「メソポタミア」でトーキングヘッズのデヴィッド・バーンを迎えてオリエンタルっぽさを出していたし、そのバーン自身もバレエの音楽として「回転花火」でバリのガムランを導入し、トム・トム・クラブも同様に南洋的な音をはじき出し、細野さんは「フィルハーモニー」でガムランや民俗音楽、ミニマル・ミュージックの色を出していたし、ファン・ボーイ・スリーが登場したのもこの時期。
実に想い出深い1982年の春から夏への流れだった。
ヨット・ダンスを毎年、夏になり、聞くたびに、あの1982年の豊かな遠き夏を思い出して、ココロが踊る。
XTCのこの曲の入った「イングリッシュ・セツルメント」【写真】は、私が高校1年生の1982年の春から夏にかけて発売になった。
以前にも増して、POPになったXTC。
プロデューサーがヒュー・パジャム。1981年のポリスの「ゴースト・イン・ザ・マシーン」に続き、繊細な音色、繊細な音作りが美しい。
高校生になって初めての夏、この「ヨット・ダンス」も入った自作のカセット・テープを作って海に行った。
この夏には、「ヨット・ダンス」をよく聴いた。
ン、チャッチャ、ン、チャッチャ、というワルツの曲。
サウンドストリートでも幸宏と教授が、「なぜか、最近、このようなフォークのような不思議な曲が多い」といっていたのを記憶している。
そういえば、当時のストラングラーズもそういった曲を作っていた。
イギリスでは、ファンカラティーナが登場した頃だったのである。
確かにそういった時代の流れはあった。
ヘアカット100の曲や、ファンカポリタンの「AsTheTimeGoesBy」、ピグバグ(Pigbag)など、ハイチ・レゲエなどのムードがロックと入り混じったムーヴメントが起こりつつあった頃である。
ジャムなども「TheGift」でホーンを入れたファンクっぽい音楽を発表したし、ブロンディも今ビールのCMで使われている「夢見るNo.1」や「IslandOfLostSoul」なんて曲を出したし、B-52'Sは「メソポタミア」でトーキングヘッズのデヴィッド・バーンを迎えてオリエンタルっぽさを出していたし、そのバーン自身もバレエの音楽として「回転花火」でバリのガムランを導入し、トム・トム・クラブも同様に南洋的な音をはじき出し、細野さんは「フィルハーモニー」でガムランや民俗音楽、ミニマル・ミュージックの色を出していたし、ファン・ボーイ・スリーが登場したのもこの時期。
実に想い出深い1982年の春から夏への流れだった。
ヨット・ダンスを毎年、夏になり、聞くたびに、あの1982年の豊かな遠き夏を思い出して、ココロが踊る。