こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

人の死に方・人の運命

2009-10-19 22:48:24 | 音楽帳
 まみちゃんの死で、「音楽」について、数日、口を閉ざしていたが、やはり黙ってはいられなくなってしまったので書く。

余り前向きな話しでは無いが。

***

 自分は、地上波テレビにおいては、「タモリ倶楽部」「検索ちゃん【既に終了】」「日曜美術館」、NHKドキュメントやニュースを見る位のニンゲンだが、今日は昼食時「昼のバカエティ」番組がかかっていて、見ざるを得なかった。

 加藤和彦さんの自殺報道をしていたが、あまりにもの扱いに、表層をなでて・騒ぐ事しか出来ないマスゴミに(今更ながら)怒りを通り越して、悲しさを覚えたのだった。

 確かに、音楽家としては、非常にボルテージの落ちた所での死は、不運としか言い様が無い。
 しかし、繰り返し「テレビジョン」の箱の中に映し出されるのは、「・・・・あの一世を風靡しました゛オラハシンジマッタダ~゛で有名な加藤和彦さんの自殺」だの、最近の「あの素晴らしい愛をもう一度」という懐メロを手を振りながら歌う、《失礼だが》情けない映像。

 そこには、あのサディスティック・ミカ・バンドのかっこよさも、「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」という名3部作も、すっぽりと抜け落ちているのだ。


【アルバム「うたかたのオペラ」’80年】

 あの「生きるお洒落=高橋幸宏」すら、一目置き・敬意を持ち、「ドノヴァン」の愛称で慕っていた加藤和彦さんのかっこよさ・オシャレさ。
 「あの素晴らしい愛をもう一度」という懐メロを、手を振りながら歌う悲しい映像の姿に、目を覆いたくなったのが、正直な自分の気持ちだった・・・・。

***

 YMOに’79年に衝撃を受けた中学生の自分は、3人の経歴をさかのぼっていくうち、サディスティック・ミカ・バンドに辿り付き、よく聴いた。

 のちにヴォーカルに桐島かれんを起用して、’89年の再結成したサディスティック・ミカ・バンドの「天晴」という「名盤」のかっこよさも、新たなファン層も巻き込み、大学生だった頃、一緒に「アート」をしていた後輩のKくんも「脳にファイアー!」というアヴァンギャルドな爆発した油彩のサイケデリックな色使いの絵を描いたのを、よく覚えている。
 本当に、この「天晴」という素晴らしいアルバムは、今でも良く聴く。かっこよさの固まりのようなアルバムである。

 しかし、「テレビジョン」の箱の中で語るのは、初期のサディスティック・ミカ・バンドのドラムだった”つのだひろ”ばかりであって、そこには、幸宏の姿も無ければ、渋いベーシスト小原礼の姿も、高中正義の姿も無い。
 話したくない、というのもあろうが、それぞれの心の持ち方・発言というのも微妙だったのかもしれない。

***

 山下達郎さんが、かつて’86年のアルバム「ポケット・ミュージック」の発売時に、渋谷陽一さんの日曜日の深夜やっていた番組(NHK-FM)に出演し、語っていたセリフを思い出す。

 細かい言い回しは覚えていないが、要約すると、アーチストというのは、死ぬまでやり続けていく限りにおいて、(世代というのもあるが)、今の音楽を否定して・赤ちゃん帰りして「懐メロ」の世界に行ってしまうか、もしくは、自分を貫き通しながらも「今という時代」と格闘し続けるか、の選択にさいなまされるのだ、ということ。

 当然、達郎さんは、後者であり、自分自身はマニアックな偏りのある人間なのに「ミドル・オブ・ザ・ロード」を歩いているという「稀有な存在」なのだが(井上陽水さんも同様で、共に確実に後世の音楽史に残る「音楽の仕事人」だが)、加藤和彦さんの場合は、そのはざまでジレンマを抱いていたような気がする。

 近時の活動や発言には熱心では無かった自分であるが、さだまさしや南こうせつでもあるまいに、今なぜ「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌うのか?という点には、疑問符が残る。
 昔のファンであった自分には、後味の悪い死に方だなと、つくづく思う。

 高橋幸宏も、もし、90年代後期の段階で死んでしまっていたならば、同様の後味の悪さを覚えただろうが、細野さんという天才の「盟友・伴侶」のマジックを借りて「スケッチ・ショー」以降、音楽的に復活した今、そのような事を抱くことは無いだろう。

 運命というのは、つくづく不思議である。

***

 自分は、加藤和彦さんの好きなアルバム「うたかたのオペラ」から、特に好きな「カフェ・ブリストル」という教授がピアノを弾く曲を選びたかったのだが、YOUTUBEに残念ながら無かったので、サディスティック・ミカ・バンドの中でも、特に大好きな曲「暮れる想い」を、今日は、独りで聴きたい。

 幸宏・森雪之丞コンビの泣かせる詞とドノヴァンの優しく・切なくたゆたう彼独特の魅力的な声と歌い方が重なり、永遠を感じさせる名曲である。



はるかな夢 優しい朝 心にある 哀しみに揺れる

とめどもなく 暮れる想い 蒼い花に 錆びゆく時計に

夜更けまで 風は騒ぎ 夜明けまで 僕は信じた

「なぜ僕たちは いつも 果てない空を 見ていた」

「なぜ切なさは いつでも なくした 日々を抱く」

いとの陽射し ちぎれる雲 晴れた街に 今、影を落とす

いつのまにか 時はめぐり 君の声は ここに届かない・・・

昨日まで 草は歌い 明日まで 僕は信じる

「なぜ僕たちは いつも 果てない空を 見ていた」

「なぜおろかさは いつでも 見飽きた 傷になる」

The Dream Is Over
The Game Is Over

作詞:高橋幸宏・森雪之丞
作曲:加藤和彦
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「初七日」

2009-10-19 00:03:16 | 雑記帳


10月17日 土曜日 

18日は、まみちゃんの初七日なので、前の土曜日に実家に行き、泊まった。

お骨になってしまったまみちゃんの骨壷を見た。
しかし、それは単なる骨壷であって、僕は、それが本当のまみちゃんのお骨の入った壺だと、「リアルな現実」として認識出来なかった。

臨時の祭壇に置かれたまみちゃんの写真と骨壷を見ながら、ローソクをともし、お線香をあげて、鐘を鳴らし、手を合わせて拝む。


10月18日 日曜日 「初七日」

今週の過労がなかなか取れずに、睡眠薬を飲んでぐったり12時間寝て、昼に起きる。

日差しで満ち溢れた居間に行く。
太陽はまぶしく室内をギラギラと照らす。

廊下で・玄関で・居間で・出窓で・キッチンで・風呂場で・・・・

常に、どこかで、大きい”猫じゃらし”のような尻尾を振りながら、だらりんちょんしていたまみちゃんが居ない事に、今更ながら、気付く。

満たされていながら、そこになにかが欠落した空間。

もう、この世には、まみちゃんが居ない事を実感する。
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