大槻ケンヂさんは、昭和41年2月生まれ/かたわのかたちんばは、昭和41年7月生まれ。
大槻ケンヂさんには、「同世代だから」という事も含まれているが、いつも気にしているサブカルチャー人の1人である。
***
大槻ケンヂさんのエッセイ集で、彼は「カート・コパーンくん、君はきたない!」と言い切る。
めざすものは音楽・アート・・・・それぞれ違うが、大槻くんは「とにかく、やり続けていけば、なんとかメシにはありつける」と言う。
一方、僕は、好きなアートを捨て、とりあえずは、社会の一端に居れば何とかメシくらいは喰えるだろう・・・・そんな汚い・まさに汚い「身売り」で、今、何とか「サラリー」を得ている。
道はそれぞれ違えど、趣味を趣味として大事にしたかった言い訳をしながら、営利団体に行って、日々格闘を続ける自分/趣味を仕事として、日々、矛盾にぶち当たりながらも、アーチストとして生き延びてきた大槻ケンヂさん。。。
ニルヴァーナのカート・コパーンは、自分の口に銃口を向け自殺したが、「死ぬのはカンタンなのだ」。
どれだけ、行き続ける事の方が苦しく・無様な事だろう。
それでも「僕らは、死なずに生きていく」。
その日々の格闘こそが、大事なんだ。
この点でだけは、大槻くんと自分は一致している。
カッコヨク生きて・カッコヨク死ぬ、そんな夢は、しょせん「夢」に過ぎない事を、お互い知っている。
***
僕は、大槻くんの音楽そのものへのファンではなかった。
筋肉少女帯も良く知っていたし、出生からよくわかってはいたが、もともと「ロック」嫌いの自分は、大槻くん自体の本や言論にはいつもタッチしてきたが、彼の音楽そのものを真剣に聞くことは少なかった。
だが、そうはいえ、やっと40歳を超えた当たりから、大槻くんの音楽を俯瞰的に見られるようになって、いくつかの「宝物」のような曲を発見した。
そんな僕が、いつもわざとふざけようとする方向に行く彼が真面目に歌う「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」という曲に、「ガーン」と頭を一撃された。
元々は、愛ネコ=まみちゃんの愛称の元になった、山瀬まみちゃんの『親指姫』に収録された大槻くんの作った曲を、1996年にセルフ・カバーした「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」には、その素晴らしさに参った。
長い事、クサイメシを喰い続けてきたヒトにこそ、こんな素晴らしい曲が書けるんだ!と言いたいラブ・ソングである。
曲名の素晴らしさ・曲としての完成度・大槻くんの歌声・・・・
もう、何も言う言葉が見つからない。
どんなに苦しみ・もがいても死んではいけない。
だって、こんな素敵なラヴ・ソングは、苦しまずに死んでしまったら、生まれなかったんだから。
大槻ケンヂさんには、「同世代だから」という事も含まれているが、いつも気にしているサブカルチャー人の1人である。
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大槻ケンヂさんのエッセイ集で、彼は「カート・コパーンくん、君はきたない!」と言い切る。
めざすものは音楽・アート・・・・それぞれ違うが、大槻くんは「とにかく、やり続けていけば、なんとかメシにはありつける」と言う。
一方、僕は、好きなアートを捨て、とりあえずは、社会の一端に居れば何とかメシくらいは喰えるだろう・・・・そんな汚い・まさに汚い「身売り」で、今、何とか「サラリー」を得ている。
道はそれぞれ違えど、趣味を趣味として大事にしたかった言い訳をしながら、営利団体に行って、日々格闘を続ける自分/趣味を仕事として、日々、矛盾にぶち当たりながらも、アーチストとして生き延びてきた大槻ケンヂさん。。。
ニルヴァーナのカート・コパーンは、自分の口に銃口を向け自殺したが、「死ぬのはカンタンなのだ」。
どれだけ、行き続ける事の方が苦しく・無様な事だろう。
それでも「僕らは、死なずに生きていく」。
その日々の格闘こそが、大事なんだ。
この点でだけは、大槻くんと自分は一致している。
カッコヨク生きて・カッコヨク死ぬ、そんな夢は、しょせん「夢」に過ぎない事を、お互い知っている。
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僕は、大槻くんの音楽そのものへのファンではなかった。
筋肉少女帯も良く知っていたし、出生からよくわかってはいたが、もともと「ロック」嫌いの自分は、大槻くん自体の本や言論にはいつもタッチしてきたが、彼の音楽そのものを真剣に聞くことは少なかった。
だが、そうはいえ、やっと40歳を超えた当たりから、大槻くんの音楽を俯瞰的に見られるようになって、いくつかの「宝物」のような曲を発見した。
そんな僕が、いつもわざとふざけようとする方向に行く彼が真面目に歌う「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」という曲に、「ガーン」と頭を一撃された。
元々は、愛ネコ=まみちゃんの愛称の元になった、山瀬まみちゃんの『親指姫』に収録された大槻くんの作った曲を、1996年にセルフ・カバーした「恋人よ逃げよう世界は壊れたおもちゃだから」には、その素晴らしさに参った。
長い事、クサイメシを喰い続けてきたヒトにこそ、こんな素晴らしい曲が書けるんだ!と言いたいラブ・ソングである。
曲名の素晴らしさ・曲としての完成度・大槻くんの歌声・・・・
もう、何も言う言葉が見つからない。
どんなに苦しみ・もがいても死んではいけない。
だって、こんな素敵なラヴ・ソングは、苦しまずに死んでしまったら、生まれなかったんだから。