こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月1日 金曜日 かたちんば・夏の100曲 ~八月~

2014-08-01 23:32:54 | 坂本龍一のサウンドストリート

1981年、教授の夏の授業「電気的音楽講座」を夜の暗闇部屋で聴いていた少年の想いに添えて。

■Psychedelic Furs 「Sister Europe」1980■
「坂本龍一のサウンドストリート」夏の特別版『電気的音楽講座』。
YMOの「BGM」が影響を受けたウルトラヴォックス。
彼らの曲を番組始まり曲とした、一週間五夜連続の夏期講習。
録音をしつつ聴いた中聴こえた、サイケデリック・ファーズの「シスター・ヨーロッパ」。
安定感がありながら、奇妙な匂いを放つ夏の夜を思い出す。

カセットテープには、断片的にエアチェックした彼らの曲が納まり、部屋の中でそれらの音楽は中高生の間流れていた。
しかし、シンプルマインズの「Don’t You」同様、彼らのシングル「プリティ・イン・ピンク」で、ぷっつりと糸は途切れた。

持っているLPは、輸入盤で石丸電気で買った「フォーエヴァー・ナウ」のみ。CD時代に入っては幾枚か持っているものの、熱心な信者ではない。
84年のシングル「Ghost In You」は好きでシングル盤を持っているが、シングル「ヘヴン」等々は聴くに耐えない。「ああ、これで終わりだな」と思った。

時々断片1
島にある東洋整体に一時通っていた際、施術師は「仕事もほどほどにしないと(仕事で)身体が壊されるからセーヴするように」と言った。
彼に言われるまでもなく、それは十二分に理解しているつもりだったが、彼と話すうちに、他に目覚める観点があり、しばらくお付き合いした。
しかし、彼の肥満度合と、彼が語る恩師が病気で若くして亡くなっていることを次第に知るうち、言っている東洋云々へのリアリティが無くなり、“そんなモノは信じられぬ”と遭わなくなった。
その後約半年。今では“医”学“が何か、などよりも、まずは”それ“抜きで(薬も抜きで)どう一つの身体で立って、バランスを保ちながら今を生きるかの方に力は傾きつつある。

”ダイエット”なる人間の傲慢さ・そのものが形となっている、と見えた少年の頃、肥満とは怠惰の現れそのものだ。そう思いつつ、ガリガリの自分の方に”寄せようと”やせている人=それだけで。。。という思い込みは、未だに余波を残す。

時々断片2
働く人の九割が給与労働者で、個人経営者では無い現代。
組織や経済の濁流と無縁では居られないのは理解するが、そこにのみ身を投じる不具に距離を置いて数年。
個では生きられぬことを知る中で選択する道として、中央と島の二世界を行ったり来たりしつつも後者に重心を置く。
中島義道さんの「人生を半分降りる」等の本を参考にしていた311前からも離れてきた。
たった一人で食材や喰うためのちからを発揮する方に敬意を持ちつつ、そのような能が無い自分は、可能な範囲でやれることをする程度。

時々断片3
昨日、仕事上何かとお付き合いしている大企業の某部長さんと話しているうち、お互いの歳の話しになり、自分は彼を50代と思っていたが、半年しか生まれが違わないことを知る。
気持ちも動きも笑い方も、若若しい彼だが、白髪からもっと年上と思い込んでいた。

波長の合う彼には、一定の礼儀を持ちつつも、よく私的な話しをするのだが、昨日は盛んに“サラリーマン”という言葉をクチにするので、“部長には蒼いと思われるだろうが、自分はその言葉が嫌いだ。そんな自分自身に対して失礼な言葉をクチにするものじゃない。”とボクは言った。
そこからお互いがかぶった社会的ベールの一部が壊れ、話すうちに打ち解けた部分が広がる。そこで彼自身の吐露を聞いた。

時々断片4
島に住みながらも、三ノ輪の頃とは事情が異なり、隣近所の人とは挨拶程度しかしない。
一方では、島のあちこちの場所で出会い、話すうちに顔見知りになった人が居る。
ほとんどが道端の花や猫を巡るきっかけだが、そこで出会った人が全て仲間でもない。話すうちに意を害す人も居る。それは向こうからもあれば、自分からもある。欺瞞じみた希望なり、それに無理して同意しようとする“善人ぶろうとする自分”が透けて見えたら、自分は引いてしまう。
善人ズラが続くほどの精神力が今はもうないのだ。
そこまでして何になる?と自らに言い続けるべきだ。
コメント
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