こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月4日 月曜日 かたちんば・夏の100曲 ~盆~

2014-08-04 23:48:32 | 音楽帳

今朝、かぼちゃの花
今日、今まで読みかけていた2冊を放置し、衝動買いした、みうらじゅんさんの「さよなら私」を朝から読み始めた。
店頭で、ひまわりの絵が入った”夏の本”コーナーはとっても魅力的で、全部買いたい気になるのは、今でも本屋さんが持っている魅力であり、その気配感は仮想空間アマゾンでは味わえない。

意固地になるつもりも無く、目が悪い自分は電子書籍は購入していない。今後買うかもしれないが。
出来うるだけモニターを見る時間を減らそうと思う、目疲れの中では、今の私には、やはり紙の匂いがする本をめくるのが、激しくなく優しいのである。

一日パソコンを中心とした仕事場を抜けて、風に吹かれて帰路を辿る。目も含めて疲労色の濃い月曜。
帰り道、交代で夏休みに入っているからだろうが、いつもより人が少ない深夜の電車。座って細野さんの音を聴きながら、本を読む。

いつもは、携帯・スマホに囚われた病人を運ぶ棺おけのように思える電車だが、今夜だけはみうらさんの言葉と合い間って、その光景が許せた。
彼らは面白いおもちゃを手に入れてしまったから、そこに熱中しているだけなんだ、と。

本を読みながら音を聴くのも不遜な態度だが、それなりの配慮はある。音は歌詞の無い、アンビエント寄りのもの。

帰った室内の温度計は33℃を指している。いきなり汗だくになり、エアコンとせんぷうきを付けて、丸はだかになり、缶ビールを開ける。

今では歌詞の意味を気にする自分だが、元々は歌詞などは分からないまま、言葉も音としての響きの一部と捉えていた。
今も、私の脳は音と文字は分化されたまま、同一時空で捉えつつ、時に同期化する。



■細野晴臣+ゴウ・ホトダ、ビル・ラズウェル、寺田寅彦 「ヘリオセラピー」1995(アルバム「N.D.E.(臨死体験)」より)■












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