”平和を買いにゆくけど、それは高くつく
平和を買いにゆくけど、それは高くつく
開発地区はいつでも夕暮れ
夜になれば、風がかれらをふぶく” (ゼルダ「開発地区はいつでも夕暮れ」1982)
平和を”ハピネス”と言い換えれば、もっと見えてくる。
いろいろ想うことあった昨日・夢の島。
小学生の頃、学校で「東京ゼロメートル地帯」、天井川、埋立地、地方から流入する者だらけのカオス都市・東京のゴミはねぇ-、みんな”夢の島”に運ばれるんだよ。そう教わった。(ここは大阪でもない。)
排斥と浄化という装置。昔にあった中心と隔離地の在り方は、寸分たがわず今も変わらない。
姥捨て山しかり、本当の歴史の事実。
そんな小学生の頃に、ゴミの山の空に、鳥が舞っているモノクロ写真を見た記憶を覚えている。
ゴミの山なのに「夢の島」とはね。。。
当時みんなその名前に苦い乾いた笑いをしていた。共犯関係がその苦笑いには含まれていた。
しかし、そんな東京の”へり”を巡って、さまざまなイマジネーションを広げた音楽が在った。
ゼルダもしかり、「東京湾岸サウンド」と呼んだ鈴木慶一さんと仲間たちの音楽、あるいは、YMO「テクノデリック」、慶一&幸宏のビートニクス一枚目。
8月10日 日曜日
昨日初めて聴いたのだが、”ねごと””赤い公園”のかっこいい演奏に出会えた。
共に女性バンドであり、滔々とあてやかに歌うヴォーカリストを配し、共にかなりヘヴィーなチューンを鳴らす。
かつてゼルダだったか?何だったか?こんな響きを聴いた記憶が。。。そんな奇妙な感覚に捉われた瞬間が、聴いている中にあった。
彼女らは本気で、2014年夏に音を鳴らしていた。表現に対して忠実だった。
とはいえ、どの子もかわいいのに参る。アイドルでもないのに。。。なんて言ったら”クソ喰らえ”と彼女らは言うだろう。
赤い公園のヴォーカルの方は、白いドレスに身を包み、挑発的な流し目でオペラティックな歌い方をする。
白いドレスは、隠喩として真逆を示し、表現していた。
曲の間に話すしゃべり方は、まさに”アイドルなんてクソ喰らえ”。
土砂降りと突風吹く嵐の中、濡れた女が風になびき歌い・楽器をかき鳴らす姿に、エモーショナルなエロスが漂う。
スピーカーからひび割れた音が響く。どうしようもなく惹かれる。
休みになったらCDを購入し、アルバムとして対峙したい。素晴らしい演奏だった。
深夜、お米を研ぎ、シャワーを浴び、洗濯機を回す。ご飯を食べて2時に横になる。
8月11日 月曜日
足がつり、朝5時に悶絶する。足の指をひんまげるがおさまらず。
手足の湿疹。全身の倦怠感。多くの人が休暇でがらがら電車が清々しい。
仕事場に向かおうと歩き出すが、足つりのせいでもなく、歩いても歩いても前に進まない感覚。ノドはがらがらになっており、声もまっとうに出ない。
表層都市に向かうと、未だ女子力といった幼稚語を、抵抗無く濫用し、メディア戦略に騙され、社会経済に”乗っかる”者たちのありさま。
男があらがったとしても、普通に、女は男より優れてしかるべき存在なのに。これ以上、何をしたいのか?
昨日の優れた女性バンドが示した激情との落差、ぬるさ。
今日、インターFMから流れる曲どれもに、昨日聴いたチューンを越える響きを感じなかった。
■鈴木さえ子(&鈴木慶一) 「血を吸うカメラ」1984(アルバム「科学と神秘」より)■
【デヴィッド・パーマー(元ABC)&鈴木さえ子】