こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年11月23日 月曜日 「雑記帳 備忘録」

2015-11-23 23:53:42 | 雑記帳

11月22日(日)雑記memo
天才、坂本龍一も細野晴臣も、人の限界時間を超えたなら、もっとたくさんの作品を80年代に創ったであろう。
二人とも厳格に中途半端を許さない。それがボツ曲を産んでいたはずである。
それを拾って集めただけでも数百曲はあったはずである。
特に坂本龍一はいじればいじるほど、作品は劣化する。そうして潰してしまった曲のカケラたち。

当時の二人の脳にダイレクトに線を直結して。
時間経過とともに現れては消えていく去来するもの、そのエッセンスを鮮度あるうち、くだもののように凝縮出来たなら、もっともっと数千曲の響きが聞こえたかもしれない。

そう夢想する。

***

毎年年始におろす日記兼スクラップ帳は時間に追いやられ、白紙ページのまま師走をむかえようとしている。白紙ページを塗りつぶそうと思いながら、圧倒的雑事と時間速度はじぶんを超え凌駕していく。

昔、兄に云われた言葉を想い出す。
”負けが込んで来たら、人はどこまでも堕ちていく”。
どこかでそれを一気に挽回せねばならない、という意味として”ありていな言い方で申し訳ないが、おまえは大学に行くのが今一番いい選択肢である”。
二十歳のきちがいの頃、最後のつもりであいさつに行った兄の家で云われた。

いまやそんなことは遠く、どうでもいい。勝ちも負けもない。

細野さんが言っていた言葉、心に届いた言葉がよくよぎる。
そのときそのときで(その日どんなに不調であろうと)ベストを尽くさないといけない。三十代・四十代。。。
それが後になって効いてくる、ボディブローのように。実際そんな言い回しをしてはいないが、そう捉えている。

***

21日(土)夜、ニーチェ(100分で名著)付けたまま寝てしまっていた。灯りはつけたまま、首にタオル巻いて。眠っていたじぶんに気付き、明け方5時灯りを消す。

朝・地震で目覚めた。つぶあんぱん一個食べる。ノドが痛い。
ラジオからビージーズ「愛はきらめきの中に」。寝床で吉村弘のCDを聴きながら、ちくちくウニウニ、伝染るんですのページをめくる。
そのうち、手に本を持ったまま、また眠ってしまう。

疲労から起きると午後。お茶とパン食す。
mp3内の曲入れ替え、片付け物、入浴、そうやって時間稼ぎをするうち、夕方5時の外出となる。外はどっぷり暮れてしまった。
写真を撮る中、山谷で絡まれる。よくあることだ。それを抜け出る。指がかじかむ。

途中でバスに飛び乗る。耳からソフトヴァーディクト。
適当に降り、歩き、親の見舞いへ。

夕方以降、外で出現してきたランダムプレイリストを聴きながら、歩き、シャッターを切る。
エリザベス・ウェルチ『ストーミー・ウェザー』
柴野さつき『星たちの息子(サティ)』
ヨ・ラ・テンゴ『ブラック・フラワーズ』
ヨ・ラ・テンゴ『More Stars Than There In Heaven』
ヴァージン・プリューンズ『Sad World』
ビートルズ『丘の上の阿呆』
ウルトラヴォックス『ウエスタン・プロミス』
グローバル・コミュニケーション『14:31』
トレイシー・ソーン『スモールタウン・ガール』
ロバート・ワイアット『シップビルディング』
ポール・ヤング『愛の放浪者』
ペイル・ファウンテンズ『パーム・オブ・マイハンズ』
レイ・ヴァンピレット『ビオムタンテン』
吉村弘『ミュージック・フォー・9ポストカード』

22時過ぎ帰宅、湯を沸かす。心臓苦しい。
ラジオ点けると橋幸夫・地球楽団、お茶とあんぱん、MZ師にTEL、鼻をかむ。

1時過ぎ灯りを消し、坂口安吾の語りを耳だけで聴いていたが、眠れず明かりを付けた。
お茶飲むことをやめ、酒を引っ張り出した。
1月初旬に撮った写真を見ていた。撮ったら終わりで振り返らないことを、いやというほど教えられる。そうしているうち明け方になった。

■YMO 「ソウル・ミュージック」2011・イン・サンフランシスコ■
コメント
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