今夜は、”不意に”という偶然を超えて、準備万端23:00に渋谷陽一さんのラジオ放送が始まるのを待っていた。
入院する親の見舞いを終え、帰ってぐつぐつおでんをゆでながら。
そのせいで、アイドルの学園祭レベルのラジオ芝居の断片や、「ふたりの部屋」に比べてずいぶんとヘタになった印象強いFMドラマなど、音を小さくしながらも聞こえてしまった。
渋谷さんが変わりなくラジオ番組を持っていることは知っていた。
それでも、熱心にそこに対峙することはなかった。
それは教授や幸宏氏がラジオに出演する場合もそうだった。
理由は明らかで、1つ1つの放送内容が、じぶんにとってあまりにも重過ぎた、という他ない。
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正確に言うなら、渋谷さんはまだそうではないが、YMO3人についてはその周辺ミュージシャンも含め、雑誌・レコード・日々の動き・そしてラジオ・・・
そこで掛けた音楽、それらを全部聴いて全部脳内咀嚼”せねばならない”日々が80年代は続いており、全部咀嚼できるわけもなく、一日の時間ほとんどと持ち金をはたいても、次第にマラソンで言えば周回遅れになっていった。
絶え間なく時々刻々と進むリアルタイムと焦燥感、それに伴う窒息感。全体掌握が不可能なところまで、心身はそれでも掴み取ろうとするもの。
ひたすら伴走者として走らねばならない日々は、音楽がひたすら愉しくて聴いているというより、どんどん”お仕事的”意識に傾き、彼らそれぞれが新しいアルバムや動きに出るたびに、どっかりと山積みの仕事を渡されたようで、ため息をついたのだった。
そして、その疲労困憊からマラソン路の途中で泡を吹いて倒れて棄権、となった。
一回、みんなが走る路と場から離脱すると、容易に戻れない。
戻りたくない。入っていけない。
そういう感覚。
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しかし、それも時間が経過して抵抗がない地点になった。もうこだわりはあまりない。
渋谷さんの放送は先週も聴いた。先週はプリンスの新譜だった。
聴いていくと、時というへだてや固まった意識は消えていく。(しばらくは、これを維持したい。)
まずもって、時間帯や番組名は違うけれど、「サウンドストリート」と変わらないじゃないか、と思えてしまう。
今日は、ついに出たニューオーダーの新譜から始まった。
先行シングルはインターFMで聴いていたが、それ以外の曲を聴くのは初めて。
感慨深いという印象はあまりない。21世紀に入ってからのニューオーダー新譜には、想い入れが無かったせいだろう。
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じぶんが持ち歩く(主目的は野外録音用の)mp3プレイヤーは、(今までも書いたが)190曲くらいしか入らない。その中の7,8曲がニューオーダーである現在。
その「7,8曲」は大好きな曲か?ベストな選曲か?というとまったくそうではない。
いろんな曲を入れ替えるうちに適当に残った曲に過ぎない。
たしかに好きな「ユア・サイレント・フェイス」(『権力の美学』収録)は入っているが、それ以外はいい加減なものである。その中には、1枚目のアルバムの曲も数曲入っている。
聴いていた当時は、あまりの暗さと出来損ない感と虚しさに引きづり込まれる怖さから、3曲以外は一定距離を置いていた。
今はそういった感情は湧かない。
じゃあ、なぜ1枚目「ムーヴメント」の曲が入っているのか?
起承転結や形骸化した音・商業音楽に疲れ、嫌気が差したときのサーモスタット・頓服剤として入っている。
mp3プレイヤーには、ジョイ・ディヴィジョンでは「アトモスフィア」「トランスミッション」、それにトリビュート盤「A Means To An End」から数曲入っている。
■トータス 「アズ・ユー・セッド」(ジョイ・ディヴィジョン・カヴァー)■
■ケンドラ・スミス 「ハート&ソウル」(ジョイ・ディヴィジョン・カヴァー)■