11月24日 火
辺見庸さんのNHK番組をアップしてくれた方がいて、夜にそれを見ていた。
タイトルは「世紀末の風景」。90年代の終わり・21世紀前ころの番組と思われる。
ありがたい発見と機会。辺見さんの深いところからうめき漏れてくるような声。その声と語り口が好きなので、話題はどうあれ落ち着く。
https://www.youtube.com/watch?v=qzzaEE5G4ng
最初に観覧車が映る。辺見さんは、その速度感に”しみじみとしてしまう”。ものを考えるのに一番良い速度。
それなのに、それを忘れてより早く、より遠くと指向する社会と人間。
このくだりで想い出したのが、大学時代当時のこと。
経済に一切関心がないじぶんが、無理矢理潜り込んいた桜井哲夫先生の「社会学」の授業。
その教則本のあとがきに観覧車が登場する。その本の一節が好きで、よくめくる。
「ウィーンのプラーターと呼ばれる地区に遊園地があり、そこに、最高点64.75mの大鉄輪にゴンドラを吊った大観覧車がある。1896年につくられたこの大観覧車は、映画『第三の男』で有名となった。
たまたま、九月にこのプラーターの観覧車に乗る機会をもったのだが、最初、そばにゆくまでこの観覧車は止まっているとしか思えなかった。近くにゆけば、たしかにゆっくりとだが観覧車は動いているのである。
そのとき感じたあの奇妙な感じは、この観覧車の近くにあるジェットコースターに乗ってみたときにさらにはっきりしたものになった。
どうやら、われわれの身体は、20世紀に入ってからというもの、とてつもない「速度」のただなかに投げ込まれてしまい、かつてのリズムなど静止したものとしか感じられなくなってしまったのではないだろうか。そしてこのスピードのただなかで、人びとはあとさきもみずに、ただひたすら走らされているのではないだろうか。
ふと、九月だというのに肌寒いウィーンの街角でそんなことを考えたことを、今、思いだしている。」(「近代」の意味 1984年著)
この本は1984年に書かれているが、この本にわたしが出会ったのは1987年のこと。
1984年秋から冬へ。なにかがつっかえて行き詰まった時節。
当時、渚十吾さんが編集人となった雑誌「LOO」を毎月買っていた。
この本は未だにめくる頻度が絶えない、ある種のバイブル。
その12月号に「廃墟のルナパーク」というエッセイがある。はさみこまれた写真は、浅草の花やしきだった。雨の日、水たまりに向けて撮ったショット。文章は伊藤俊治さん。
未だ不思議な時空。それを漂わせた、数少ない昭和のにおいが残る花やしき。
この冒頭で伊藤さんはある本の一節を引用している。
「ずっと昔から子どもたちは、あらゆるものが永遠回帰するということを知っていた。」
(ウォルター・ベンヤミン『メリーゴーラウンドに乗る子ども』)
つながりを意識したこともないが、その後発狂する80年代中盤の東京にて、また別の観覧車に出会う。
後楽園遊園地の観覧車だ。
当時、御茶ノ水の予備校に通い、夕方から歩き出し、水道橋で折れて春日通りを進み出すと、観覧車は姿を現した。毎日毎日。
春日通りを歩くと、後楽園の観覧車を左側にして眺めながら歩く形となる。
夕方にはその左側に夕陽が沈んで行き、バックから光を浴びた球場と観覧車の輪っかが見えた。それを毎日見上げ、樋口一葉がかつて住まっていた菊坂近くの図書館に通っていた。
日航ジャンボが落ち、岡田有希子さんが亡くなる等々うちのめされるばかりの85-86年、ひたすら暗く厳しい素浪人の戦いの風景のなか。
月日は不明だが(たぶん)86年、阿刀田高さんのショートショート集「街の観覧車」の一つをドラマ化したものを視た。
ここに後楽園遊園地の観覧車が登場する。ドラマタイトルに”観覧車”表記はなく”三人娘”といったタイトルだったように記憶している。
このドラマに「冴えない中年父親」という具合にして、役者・きたろうさんが出てくる。
幻のような”娘”を追い掛けて、たびたび後楽園遊園地の観覧車に乗る彼。
劇中、ジ・アート・オブ・ノイズのデビュー12インチ「イントゥ・バトル・ウィズ・・・」の曲が要所要所で掛かる。
そして、ドラマ最後”幻の娘”と共に乗った観覧車から身を乗り出し、彼は転落し亡くなる。その背後で「モーメンツ・イン・ラヴ」が掛かりエンドロールが流れる。
あまり暗い話ばかりはしたくはないのだが、そんなことを想い出した。
辺見さんと同じく、じぶんも観覧車が子供のように好きである。
西尾久に棲んでいたわずかばかりの頃。
よく夜、人がいない近所を自転車で走っては荒川遊園地に行き、まったく動かない遊園地を眺めていたことを想い出す。
■The Art Of Noise 「Moments In Love」1983■
辺見庸さんのNHK番組をアップしてくれた方がいて、夜にそれを見ていた。
タイトルは「世紀末の風景」。90年代の終わり・21世紀前ころの番組と思われる。
ありがたい発見と機会。辺見さんの深いところからうめき漏れてくるような声。その声と語り口が好きなので、話題はどうあれ落ち着く。
https://www.youtube.com/watch?v=qzzaEE5G4ng
最初に観覧車が映る。辺見さんは、その速度感に”しみじみとしてしまう”。ものを考えるのに一番良い速度。
それなのに、それを忘れてより早く、より遠くと指向する社会と人間。
このくだりで想い出したのが、大学時代当時のこと。
経済に一切関心がないじぶんが、無理矢理潜り込んいた桜井哲夫先生の「社会学」の授業。
その教則本のあとがきに観覧車が登場する。その本の一節が好きで、よくめくる。
「ウィーンのプラーターと呼ばれる地区に遊園地があり、そこに、最高点64.75mの大鉄輪にゴンドラを吊った大観覧車がある。1896年につくられたこの大観覧車は、映画『第三の男』で有名となった。
たまたま、九月にこのプラーターの観覧車に乗る機会をもったのだが、最初、そばにゆくまでこの観覧車は止まっているとしか思えなかった。近くにゆけば、たしかにゆっくりとだが観覧車は動いているのである。
そのとき感じたあの奇妙な感じは、この観覧車の近くにあるジェットコースターに乗ってみたときにさらにはっきりしたものになった。
どうやら、われわれの身体は、20世紀に入ってからというもの、とてつもない「速度」のただなかに投げ込まれてしまい、かつてのリズムなど静止したものとしか感じられなくなってしまったのではないだろうか。そしてこのスピードのただなかで、人びとはあとさきもみずに、ただひたすら走らされているのではないだろうか。
ふと、九月だというのに肌寒いウィーンの街角でそんなことを考えたことを、今、思いだしている。」(「近代」の意味 1984年著)
この本は1984年に書かれているが、この本にわたしが出会ったのは1987年のこと。
1984年秋から冬へ。なにかがつっかえて行き詰まった時節。
当時、渚十吾さんが編集人となった雑誌「LOO」を毎月買っていた。
この本は未だにめくる頻度が絶えない、ある種のバイブル。
その12月号に「廃墟のルナパーク」というエッセイがある。はさみこまれた写真は、浅草の花やしきだった。雨の日、水たまりに向けて撮ったショット。文章は伊藤俊治さん。
未だ不思議な時空。それを漂わせた、数少ない昭和のにおいが残る花やしき。
この冒頭で伊藤さんはある本の一節を引用している。
「ずっと昔から子どもたちは、あらゆるものが永遠回帰するということを知っていた。」
(ウォルター・ベンヤミン『メリーゴーラウンドに乗る子ども』)
つながりを意識したこともないが、その後発狂する80年代中盤の東京にて、また別の観覧車に出会う。
後楽園遊園地の観覧車だ。
当時、御茶ノ水の予備校に通い、夕方から歩き出し、水道橋で折れて春日通りを進み出すと、観覧車は姿を現した。毎日毎日。
春日通りを歩くと、後楽園の観覧車を左側にして眺めながら歩く形となる。
夕方にはその左側に夕陽が沈んで行き、バックから光を浴びた球場と観覧車の輪っかが見えた。それを毎日見上げ、樋口一葉がかつて住まっていた菊坂近くの図書館に通っていた。
日航ジャンボが落ち、岡田有希子さんが亡くなる等々うちのめされるばかりの85-86年、ひたすら暗く厳しい素浪人の戦いの風景のなか。
月日は不明だが(たぶん)86年、阿刀田高さんのショートショート集「街の観覧車」の一つをドラマ化したものを視た。
ここに後楽園遊園地の観覧車が登場する。ドラマタイトルに”観覧車”表記はなく”三人娘”といったタイトルだったように記憶している。
このドラマに「冴えない中年父親」という具合にして、役者・きたろうさんが出てくる。
幻のような”娘”を追い掛けて、たびたび後楽園遊園地の観覧車に乗る彼。
劇中、ジ・アート・オブ・ノイズのデビュー12インチ「イントゥ・バトル・ウィズ・・・」の曲が要所要所で掛かる。
そして、ドラマ最後”幻の娘”と共に乗った観覧車から身を乗り出し、彼は転落し亡くなる。その背後で「モーメンツ・イン・ラヴ」が掛かりエンドロールが流れる。
あまり暗い話ばかりはしたくはないのだが、そんなことを想い出した。
辺見さんと同じく、じぶんも観覧車が子供のように好きである。
西尾久に棲んでいたわずかばかりの頃。
よく夜、人がいない近所を自転車で走っては荒川遊園地に行き、まったく動かない遊園地を眺めていたことを想い出す。
■The Art Of Noise 「Moments In Love」1983■