今では、そんな元気も無いのだが、肝臓を壊す前までは、兄との「CD文通」のようなことをしていた。
おたがい共に、いつ果てるか分からない中、音楽が重要な好物である仲で、そのとき・そのときに好きな曲を収めたオリジナルCDを、季節の便りにかえて、交わい合い・会う機会があれば渡しあったりしていた。
現在では、兄からもらうCDはあれども、じぶんから兄に渡すCDがない状態が続いている。
***
かつて、まだ壊れる前のSONYのCDウォークマンで好きなCDを掛けながら・好きな東京街歩きをして・好きなシーンにカメラを向けていた頃。
南佳孝さんのアルバム「サウス・オブ・ザ・ボーダー」は、夏の重要な一枚だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/07/221e6e011130229b5cba669354ff4b3b.jpg)
ジャケットは、故・池田満寿夫さんの作品。
南佳孝さんに初めて出会ったのは「モンローウォーク」「憧れのレディオ・ガール」「スローなブギにしてくれ」といったシングル盤であった。
そういった大ヒットシングルとは別に、後に1982年の「坂本龍一のサウンドストリート」の「渋リク(=渋いリクエスト)」の日に、教授がかけた『常夜灯』に、引導された。
「サウス・オブ・ザ・ボーダー」のジャケットは、当時よく見ていたが、そこに大きな宝物が埋まっているとは思いもしなかったので、素通りしていたのを、逆戻しさせた。
時を経て、CDウォークマンで「サウス・オブ・ザ・ボーダー」を聴いて歩いていた夏。
秋葉原の橋のたもとで休憩をしている折に、心地良くなって短パン&Tシャツ姿で、そこに横になって、青空と流れる雲を眺めながら「サウス・オブ・ザ・ボーダー」を聴いていると、心は南洋に行くことが出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/33/5f2f627cb08320a13062e186242000d8.jpg)
【そのCD「サウス・オブ・ザ・ボーダー」は、相変わらず遭難中。
写真は、右が「憧れのレディオ・ガール」を収めた1980年作品『モンタージュ』。
左は2002年作品『ブルー・ヌード』。】
この夏に、兄に渡したCDには、「サウス・オブ・ザ・ボーダー」の中でも、特に好きな曲「日付変更線」を入れた。
音楽への知見の深さも、じぶんは兄に叶わないのだが。。。そんな兄からメールが届いた。
「日付変更線は、イイねえ~。」そんなメールをもらうのは珍しいことだったので、その後、アマゾンでCD「サウス・オブ・ザ・ボーダー」を購入して、兄の家に贈った。
「イイでしょう~」と誇らしげに浮かれて。。。
***
数日前に、山下達郎と坂本龍一の組み合わせを意外と。。。と書いたが、南佳孝と坂本龍一の組み合わせも意外と感じる方も居るだろう。
しかし、南佳孝さんと教授は、当時友人同士で、教授は、南佳孝さんのアルバムのアレンジャーとして一緒に音楽を創っていた。
南洋に恋していたミュージシャンたちが創った名作LP「パシフィック」に限らず、この頃は(その後の)YMO&周辺ミュージシャンの心は、南洋のトロピカルな世界に向いていた。(故・加藤和彦さんの「パパ・ヘミングウェイ」も、その中の一枚)
「日付変更線」という曲の心地良さには、大貫妙子さんの透明感あるバックコーラスの美しさも、大いに含まれている。
■南佳孝 「日付変更線」1978■
もう、あっという間に10年近く経ってしまうのだが、まだ営業車を転がしている頃に、偶然FMで昼間に掛かった南佳孝さんのスタジオ・ライヴ。
南洋色・サウダージの匂いは、更に深い磨きをかけていて、鳥肌が立つほど感動した。
録音機械を積んでいなかったので、リアルタイムでしか聴けなかったが、実に貴重な放送だった。
おたがい共に、いつ果てるか分からない中、音楽が重要な好物である仲で、そのとき・そのときに好きな曲を収めたオリジナルCDを、季節の便りにかえて、交わい合い・会う機会があれば渡しあったりしていた。
現在では、兄からもらうCDはあれども、じぶんから兄に渡すCDがない状態が続いている。
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かつて、まだ壊れる前のSONYのCDウォークマンで好きなCDを掛けながら・好きな東京街歩きをして・好きなシーンにカメラを向けていた頃。
南佳孝さんのアルバム「サウス・オブ・ザ・ボーダー」は、夏の重要な一枚だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/07/221e6e011130229b5cba669354ff4b3b.jpg)
ジャケットは、故・池田満寿夫さんの作品。
南佳孝さんに初めて出会ったのは「モンローウォーク」「憧れのレディオ・ガール」「スローなブギにしてくれ」といったシングル盤であった。
そういった大ヒットシングルとは別に、後に1982年の「坂本龍一のサウンドストリート」の「渋リク(=渋いリクエスト)」の日に、教授がかけた『常夜灯』に、引導された。
「サウス・オブ・ザ・ボーダー」のジャケットは、当時よく見ていたが、そこに大きな宝物が埋まっているとは思いもしなかったので、素通りしていたのを、逆戻しさせた。
時を経て、CDウォークマンで「サウス・オブ・ザ・ボーダー」を聴いて歩いていた夏。
秋葉原の橋のたもとで休憩をしている折に、心地良くなって短パン&Tシャツ姿で、そこに横になって、青空と流れる雲を眺めながら「サウス・オブ・ザ・ボーダー」を聴いていると、心は南洋に行くことが出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/33/5f2f627cb08320a13062e186242000d8.jpg)
【そのCD「サウス・オブ・ザ・ボーダー」は、相変わらず遭難中。
写真は、右が「憧れのレディオ・ガール」を収めた1980年作品『モンタージュ』。
左は2002年作品『ブルー・ヌード』。】
この夏に、兄に渡したCDには、「サウス・オブ・ザ・ボーダー」の中でも、特に好きな曲「日付変更線」を入れた。
音楽への知見の深さも、じぶんは兄に叶わないのだが。。。そんな兄からメールが届いた。
「日付変更線は、イイねえ~。」そんなメールをもらうのは珍しいことだったので、その後、アマゾンでCD「サウス・オブ・ザ・ボーダー」を購入して、兄の家に贈った。
「イイでしょう~」と誇らしげに浮かれて。。。
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数日前に、山下達郎と坂本龍一の組み合わせを意外と。。。と書いたが、南佳孝と坂本龍一の組み合わせも意外と感じる方も居るだろう。
しかし、南佳孝さんと教授は、当時友人同士で、教授は、南佳孝さんのアルバムのアレンジャーとして一緒に音楽を創っていた。
南洋に恋していたミュージシャンたちが創った名作LP「パシフィック」に限らず、この頃は(その後の)YMO&周辺ミュージシャンの心は、南洋のトロピカルな世界に向いていた。(故・加藤和彦さんの「パパ・ヘミングウェイ」も、その中の一枚)
「日付変更線」という曲の心地良さには、大貫妙子さんの透明感あるバックコーラスの美しさも、大いに含まれている。
■南佳孝 「日付変更線」1978■
もう、あっという間に10年近く経ってしまうのだが、まだ営業車を転がしている頃に、偶然FMで昼間に掛かった南佳孝さんのスタジオ・ライヴ。
南洋色・サウダージの匂いは、更に深い磨きをかけていて、鳥肌が立つほど感動した。
録音機械を積んでいなかったので、リアルタイムでしか聴けなかったが、実に貴重な放送だった。
「常夜灯」の気だるさが好きで、晩夏になると夜更けに聴いていました。あの教授のピアノソロはビル・エバンス並みの憂いがあって鳥肌ですね。
「日付変更線」は、ユーミンが歌詞を書いて、大貫さんがコーラスと、その贅沢さに酔いしれました。アナログだと最後のFO寸前のコーラスのところがいいんです。
大人のレゲエなアルバムは、もう誰もつくってくれないのでしょかね。
その後出た「シルクスクリーン」はYMO色が強くて、南さん自身はあまりお好きでないような。