この頃の、シャイでロマンティシズムをたたえた「教授」が今でも好きだ好きだ大好きだ!
1980年のワールドツアーから1981年の「BGM」製作にかけて、坂本龍一の精神状態はかなり悪いものであったらしい。
音楽を作ること自体へのエクスキューズ、悩みは深く、それは「BGM」の「音楽の計画」と、このソロシングル「FrontLine(前線)」に反映されている。
この2曲は双子のように共通した心境が伺えるし、極めて露骨な表現が用いられている。
そこに切迫したものを感じる。今ではこういったあらわな表現をすることは無くなったが、こういうところは本来の「教授」の魅力の1つの側面だった。
【坂本龍一 フロント・ライン】
「時々恋愛もしたいが
足手まといは困るよ。
時々疲れることもあるが
休むことはできない。
時々全てを投げ出したくなるが
それができないものをしょっている。
時々全てを破壊したくなるが
そうしても何も生まれないことを知っている。
みんなこんな音楽が必要かい?
みんなこんな音楽で楽しいかい?
朝、養鶏場でテレビをつけて
コーヒーとトーストを食べる。
夜、世界がまっくらなのに
ポッカリあいてる窓が1つ、それが僕だ。
何処にいったらいいかわからない。
何処にいったらいいか決められない。
音楽を知らない子供達が、フッと歌うその中に
答えがあるようだ。
音楽っていう小さな戦場で
ぼくは兵士になる。
音楽は意識の戦い。
だから僕は兵士。」(日本語:坂本/英語訳詩:ピーター・バラカン)
【写真】は、このシングルの写真。坂本龍一、29歳の肖像だ。
1980年のワールドツアーから1981年の「BGM」製作にかけて、坂本龍一の精神状態はかなり悪いものであったらしい。
音楽を作ること自体へのエクスキューズ、悩みは深く、それは「BGM」の「音楽の計画」と、このソロシングル「FrontLine(前線)」に反映されている。
この2曲は双子のように共通した心境が伺えるし、極めて露骨な表現が用いられている。
そこに切迫したものを感じる。今ではこういったあらわな表現をすることは無くなったが、こういうところは本来の「教授」の魅力の1つの側面だった。
【坂本龍一 フロント・ライン】
「時々恋愛もしたいが
足手まといは困るよ。
時々疲れることもあるが
休むことはできない。
時々全てを投げ出したくなるが
それができないものをしょっている。
時々全てを破壊したくなるが
そうしても何も生まれないことを知っている。
みんなこんな音楽が必要かい?
みんなこんな音楽で楽しいかい?
朝、養鶏場でテレビをつけて
コーヒーとトーストを食べる。
夜、世界がまっくらなのに
ポッカリあいてる窓が1つ、それが僕だ。
何処にいったらいいかわからない。
何処にいったらいいか決められない。
音楽を知らない子供達が、フッと歌うその中に
答えがあるようだ。
音楽っていう小さな戦場で
ぼくは兵士になる。
音楽は意識の戦い。
だから僕は兵士。」(日本語:坂本/英語訳詩:ピーター・バラカン)
【写真】は、このシングルの写真。坂本龍一、29歳の肖像だ。
好きだ好きだ大好きだ!ってところに、教授に対する愛情とか尊敬の念を感じました♪
私は 好きだ好きだぐらいです(笑)
ぼそぼそ歌うところは あんまり好きじゃないですけどね(笑)
硝子細工みたいに繊細なところが好きです。
胸を鷲づかみ状態です(笑)
「THOUSAND KNIVES THE」
「END OF ASIA」「tong poo」あたりが大好物なのです
このフロントラインも すごく懐かしいですね
先に曲名を書いて、後から「」を付け足したら、とんでもないところで区切っていました
今読み返していて気付きました・・・
申し訳ない